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はてなキーワード: ジャンケンとは

2007-06-09

殴りたくなった!

彼は、今ドラマでやってるライアーゲームをつまらないと言い出し、

似て非なる漫画カイジ」の素晴らしさを語り始めました。

僕もカイジは大好きなのでこれはとても微笑ましいことです。

ところが彼は、カイジを読んだことが無いらしい他のメンバーに対して、

限定ジャンケン編から鉄骨渡り編、Eカード編、くじ引き

地下チンチロ編、パチンコ「沼」編、そして現在進行中の17歩編まで

実に丁寧に、詳細なストーリーを語ってくれやがったのです。

もはや漫画を読む必要が無いほどです。

特にEカード編の、イカサマを破るために

カイジが行った壮絶なトリックを全部言われた時が一番殴りたくなった!

2007-06-08

日記ムーディ勝山結婚式に出てきた時の母と姉の反応

母「?誰?これ」

俺「いや、知らん。誰?これ」

姉「知らん。誰?陣内の身内?」

俺「ずいぶんはっちゃけた身内だな」

姉「結婚式だから張り切っちゃった伯父さんとかじゃね?」

母「それにしては若いでしょ」

姉「ていうか、何を歌ってんの?これ。物真似?」

母「全く笑えないね。恐ろしいほど」

姉「今なんか会場笑ってるけどなんで笑ってるんだ?どこで笑ったんだ?

ケーブルテレビアメリカ番組見てるとさ、突然アメリカ人が笑い出したりしてるんだけど

ちっとも笑いどころがわかんないんだよねアレ。「それは僕のワイフさってね!」「AHAHAHA!」

とかいうやりとりがあったりすると「え?僕のワイフで何がおかしい?」みたいなそういう感じでわかんないんだよね

今そういう気分だわ」

俺「同感だわ。アメリカ人マジ意味わかんね」

姉「そこに同感かよw」

母「ねえこの人もう一曲歌い始めたんだけど。意味わかんないんだけど」

姉「マジで誰だこの人」

俺「一瞬コロッケに見えた」

姉「コロッケ馬鹿にすんな」

俺「w」

終了後

俺「ネットで調べたけど、ムーディ勝山とか言う芸人らしいよアレ

姉「ますます誰?」

母「知らんな」

俺「最近テレビでだしたらしい。アレは芸だったらしい。ああいう歌なんだって」

姉「どこが笑いどころ?マジで、全くわからなかったんだけど」

母「わからなかったね。驚くほど」

俺「俺もわからんけどそういうもんなんじゃね」

姉「なんかなぁ別に憤慨してるわけじゃないんだけど、あまりに理解不能すぎる。ネコが逆立ちしてたみたいな感じ」

俺「いや、それも意味わかんねw」

姉「家帰ってきたら家の隅でネコが倒立してたら一瞬停止するでしょ。『え?……え?なんで?』みたいな」

母「あんたのたとえはいっつも回りくどいw」

俺「且つ意味不明

結局あれはどういう芸だったんだ?左からきて右に流す歌とかなんとかいってたけどどこが面白いの?ジャンケンで負けて明日姉に説明する事になったのにいまだにわからない

人間の仕組み

人間が手の平からうんこを出す生き物だったらどうなってしまうんだ。

・洗いやすいからイボとかが出る病気にはなりにくい

・時代を経て、綺麗なうんこを出す生き物に進化する

・あんまり気合いれてジャンケンするとマズイ事になる(特にパー)

こんなところかと思うんだがどうか。

どうでもよいか。

2007-05-07

[]人格の数%は数回のジャンケンで決まる

  アッチ向いてホイなどの遊戯はもちろん、係や委員や長を決めたり、席替え給食の余りの争奪戦、鬼ごっこの鬼決めにいたるまで、ジャンケン子供コミュニティで幅広く用いられています。

  ではその係だの委員だのを決めるジャンケンで負けるとどうなるでしょうか。

  勢い勇んで立候補したのにジャンケンごときで敗れる。バツが悪すぎます。かなりショックを受けますね。そして、もう二度と挑戦するまいと、萎縮効果が働きます。長じて、「めんどくせーからなんでもいいや」という人間になってしまうかも知れません。また、お目当てのあの娘をねらった席替えや、大好物のきなこ揚げパンを求める給食の余りの争奪戦なんかに敗れた者の無念さは名状しがたいものがあります。

  逆に勝った場合。子供時代の役職なんて名ばかりで、寧ろ何もしなくてもいい、名誉職的な意味合いが強いのです。そのくせ、その地位にいるだけで周りからの評価は鰻登りです。隣のあの娘とも仲良くなっちゃって、まさにこの世の春です。また、子供ジャンケンごときのでも、強者にあこがれるものです。こうして好意の拡大再生産が行われ、長じてグループの人気者・中心人物になっていくでしょう。そうした人物が、社交的で、いわゆるモテ系になっていくのは自明の理でしょう。

  このように、決定的なジャンケンに一度負けただけで、彼または彼女人生に大きな影を落とす事になるのです(暴論)。

  まあ、ジャンケンを用いないで他の手段を用いた場合も問題あるんですけどね。投票なり多数決では選ばれなかった人に酷ですし、どうせそういうのを選ぶ基準だなんてかっこよさとかそれまでの人気とか、運よりもタチが悪いものばかりだし。先輩や先生などの絶対的権力者が選ぶにしても、依怙贔屓(えこひいき)だなんだと騒ぐことでしょう。

  ではほかに、ジャンケンで負けるショックを軽減し、もって人格形成への悪影響を防ぐ方法はなにかないでしょうか。

  次善の策としては、ジャンケンの回数を増やす方法を提案したいです。

  3本先取式(ウルトラクイズ成田でのトメさん方式と命名しました)や、勝ちの数の差が2を超えた時に勝利式(デュース方式と命名しました)などが考えられます。

 たった一度のジャンケンですべてが決まってしまうのは、酷すぎます。(彼らにとっては)一大事なのに、たった一動作で決まってしまうですから。ならば、負けたにしてもいいところまで行った感を与えてみるのです。

  たとえばトメさん方式で、1本取れたとすれば、一度で決まってしまったときよりも不公平感は減り、また次があるさと思えるようになり、萎縮効果も限定的になるでしょう。負け続けた場合でも、3連敗の確率なんて1/27です。わかりやすく言うと、本当なら一発で負けていた人のうちの90%くらい(!)が何らかの手応えを感じる事が出来るわけです。(一発で負ける率が1/3だから、3連敗する確率はそのまた1/9、三連敗しない8/9=88.9%の人は手応えを感じる)

  また、デュース方式のように長期戦では駆け引き重要になってきますから、運の支配力は相対的に下がります。もちろん、トメさん方式同様、いいところまで行った感が演出されますしね。

  実際、私は高校生くらいのときから、大事な場面では相手方の承諾さえあれば、トメさん方式かテニス方式で決めています。特にそれ以降、ジャンケンでどうのこうのと思った事はありません(普通の人は思ったことなんてねーよ、なんて言わないよ絶対??)。

  補足。ジャンケンの方式にはほかに複数人で一斉に行う方式や、抽選会方式(あいこが座っていいかどうか悩むやつ)なんかがあって、一概には言えないんですが、二人で対決するものを念頭に書きました。そういう場面で負けるのこそが悔しいですしね。

2007-01-19

議論は終らせるべきなのか?

議論はなんのためにするんだ?

結論を出すため?それもあるだろう。だがそれだけではない。

議論で結論が決まるのはなんでだ?

論を戦わせ、勝敗により決まるのか?そんな事もあるだろう。しかしそれならばジャンケンで決めても良い。決闘で決めても良い。

議論は理解のために行なう。さまざまな意見を聞き、考える。自分の考えを述べ、相手の考えを聞く。

間違いがあれば指摘し、疑問があれば聞き、新しい知識、考えを得て自分の考えを整理する。

相手の考えを理解し、自分の考えを理解してもらう。それにより結論が出る事もあるだろう。

しかし、結論が出ない事もある。思想の違い、立場の違い。損得勘定の違い。

それはそれで良い。一つに決めなければならなければ多数決をとっても良いだろう。決めないという選択しもあるかも知れない。

しかしここは増田だ。一つに決める必要はない。他人の考えが理解できればそれでいいじゃないか。

意見、疑問、考えがあるかぎり議論しようじゃないか。

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