はてなキーワード: シッカリとは
結婚できるかなあ。24で結婚したいと思ってるから、あと2年。
結婚は人生の墓場なんていうけど、やっぱり避けて通っちゃいけない所だと思う。
赤の他人と同居して、他人を理解して、受け入れて、生活していく。
間違いなく大変。でも、その困難を知って乗り越えてこそ一人前だと思うんだよ。
それに大変なだけじゃなくて、良い事だってある。家庭が作れる。
私が育ったのは両親が作った家庭。いつでも帰れる安心できる場所。
私はそこから独立して、今度は自分で家庭を作りたい。自分で最高に過しやすい安心できる場所を作りたい。
そして、頼れる人が欲しい。親はいずれいなくなってしまうんだし。
そしたら私もその人に頼られても大丈夫なように、シッカリ自立しないとね。
子供…は、まだ欲しいとは思わないな。友達を見てると幸せそうだから、いたらいいなとは思う。
でもまだきちんと躾けられる自信がない。
そのためにはまず相手だ。結婚相手がいないと何も始まらない。
婚活して探せばいいのかな。
だーれかー!
人の話をちゃんと聞けて、偏食じゃなくて
私の代わりに蜘蛛を退治してくれて、怒りっぽくなくて
仕事をしてるときがカッコイイ、一緒にTVゲームしてくれる人いませんか!?
私、接客でバイトできるくらいのそこそこの器量ですし
頭も中くらいですし、家柄も平民で悪くないです!
私口数少ないので、おしゃべりな人大歓迎です!
あとBカップで黒髪ロング(毛先巻いてるんでストレートじゃないけど!)の処女です!
結婚してくださいー!!
うーん…やっぱり不安だなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20091016211552
「泣く人は弱い人なんだろうか?」という、どことなく思っていた疑問に元増田のエントリーがヒントをくれた気がする。
確かに、元増田が好きだった良く泣く女性は、一人で自分の気持ちを整理して世間と戦って行けるほど強い人間ではなかったのかもしれない。それは、元増田の前で涙を見せなくなり、足が遠のき、気づいたときには他に彼女を支える存在ができていたという顛末からも想像はつく。結局、彼女を支える誰かが必要であるという側面はありそうだ。
では、彼女は弱いのだろうか?
泣くことは、痛みに触れることに似ている。
もちろん色々な涙(戦略として使ったり、人の気を引いたり)があるのだろうけど、元増田の文章を読む限り、彼女は泣くことによって痛みに触れていたんだろうと思う。自分の弱さ、不甲斐なさ、厭らしさ、浅ましさなど・・・目を背けたほうが楽なことをシッカリと自分の傍らにおいて、泣きながら口に出すという行為を通じてそれらを抱きしめていたんだろう。悪臭を放ち、おぞましい姿で、幾千も棘を持ち、触れると肌を破り激痛を与える。そんなモノが人の心の中にあって、それは、触れ続けることでしか消化できない。それに触れ続けるためには、聞き手という共に痛みを感じながら、一緒にさわってくれる存在が不可欠だったんだ。
おそらくは、その行為によって、彼女は外の世界で凛とした自分を保つことができていたんだろうと思う。そういう意味においては、元増田が彼女の強さを一緒に作っていたといっても過言じゃないだろう。
弱さとはなんだろうか?
今の時点で僕が思う弱さとは、痛みと向き合えないことではないだろうかと思う。そうして安全な場所だけを求めて自分のいる世界をどんどん狭めることだ。守らなきゃいけないものを大切にするためには痛みが伴う。失敗することはあるけれど、痛みと向き合えることは、例え涙が流れてしまったとしても、とても勇敢な行為だと信じたい。どんな本で読んだのかは忘れたけれど、「怖いものがあるのは弱いということではない。恐れがなければ勇敢になることはできないのだから」という言葉を思い出した。
入札担当のうちの一人の同僚が鬱に倒れてから、3ヶ月が経った。
開札とか契約とか大きなことは上司と一緒にやっていたんだけど、細々とした端末操作や月例報告は全部彼が一人でやっていたので、上司はここしばらくの間、他の事務所に状況を聞いたりして連日休日出勤の日々が続いた。
折り悪く、電子入札が本格化し始めた時期で、それが混乱に拍車を掛けた。
上司の息子さんは幸いにしてもう大学に入学しているので、弁当づくりだの面談だの、そういう面倒なことで休む必要もなく、部活のために早起きする必要もなく、普通に朝から夜遅くまで仕事をしている。
元々仕事人間なのもあるが、それでも並の男性を質量ともにはるかに凌ぐ勢いで仕事をしている。
ただ、やはり年齢が年齢なので、ガタがきているのも否めない。
課員一人ずつに充てられたお詫びの品とともに、申し訳ないと謝罪するご家族からの手紙が添えられていた。
同僚は未だ昼夜逆転の生活が続き、広場恐怖、不眠、食欲不振が続いている状態らしい。
上司と課長が話をしているところにたまたま通りかかり、上司がこういっているのを聞いた。
「セカンドオピニオンとか取ってくれればね、もう少し早く回復して年度内に復帰できるかもしれない」
ふざけるな。
鬱で断続的に3年近く棒に振った身から言わせてもらえば、同僚がまともに日常生活を送れるまでには、恐らく少なくともあと3ヶ月以上かかる。
まして、働くことが出来る状態になるには、どれだけかかることか。
何せ、異例の年度内内部異動で同僚の代わりが補充されたくらいなのだから。
しかし、「仕事復帰」とか「セカンドオピニオン」とか、こんなに安易に、無意識にしても悪意を持って言及してしまうものなのだ、と言う現実。
恐らく、私も休んでいる間、ずっとこのように言われ続けていたことなのだろう。
仮復帰期間が明けた途端、少し仕事がもたついたり休んだりすると
(シッカリシロヨ)
という有形無形の圧力が、各方面から全力で掛かって来たことを思い出した。
同僚の復帰は間違いなく年度をまたぐ。
その、これから降りかかるであろう不安に少しでも寄り添いたいのだが、私は恐らく今年度で今の事務所を異動になる。
そして、上司は間違いなく残留する。
力になれないもどかしさと、無力さと、鬱だった頃に引き戻されるような恐怖が一度に襲ってくるのだが、幸か不幸か相談相手は事務所内に誰もいない。