はてなキーワード: エリマキトカゲとは
我ら姉妹は、両親からまったく分け隔てなく純粋培養で育てられた。両親の言うとおりに習い事をし、塾に通い、両親の認める友人とだけ付き合い、荒れていると評判の地元の中学には進学しなかった。ただし、姉妹の道が同じだったのはそこまでだった。
姉は大人しく、私立の中高一貫女子校を優秀な成績で卒業し、両親の言うとおりの女子大に進学した。両親の紹介で講師のアルバイトをし、その会社に就職をした。大学院在学中に教授の紹介で知り合った、エリートの恋人と24歳処女のまま結婚するという完璧ぶりだ。現在はやはり講師をしながら子供を生み、セレブな生活を送っている。純粋培養を夢見る世の父親や母親が思い描く優秀な子供とは、姉のような人のことを言うのだろう。
一方、同じ環境のはずの私はというと、同じ私立の中高一貫女子校の中で反抗期に入り、ものの見事に落ちこぼれて、学外にあまりよろしくない友達をたくさん作った。両親は当然激怒したが、反抗期の中学生が言うことを聞くわけがない。正面きって反発するのはリスクが高いので、両親の目を盗む技術をフル活用した。
まず、最初にしたのは塾の予定表の改竄。ノリとハサミとコピーを駆使して、遊ぶ時間をたっぷり含んだものに作り変えた。携帯なんて学生が持っている時代ではなかったので、偽名で電話を受け、偽名で手紙を書いた。毎日少しずつ髪の毛を脱色し、歳をごまかした日雇いバイトで遊ぶ資金をひねりだしたりもした。この時点で、両親の純粋培養計画は完全に裏目に出たことになる。
ところが、そんな私の素行は、校内で何故か「学外に友達がたくさんいる→カコイイ」「服装の乱れ→カコイイ」と解釈され、行事ごとに知らない後輩から「一緒に写真とって下さい」と言われ、同級生からは学外の話をねだられるような状態になった。下の学年にファンクラブが出来ていたのを知ったのは卒業してからだ。自分で言うのもなんだが、珍獣アイドルというか、エリマキトカゲ的存在だったと思う。人生最大のモテ期だった(女子校だけど)。
もちろん、そんな絶頂期は長くは続かない。高3の春になって、私は愕然とする。周囲は確実に受験へと進んでいて、クラスメートが休み時間にまで勉強するようになったのだ。そのころには既に高校のカリキュラムは終わり、授業は入試問題の演習ばかりになっていた。1学年400人中、専門学校へ行く生徒が1人いるかいないかという学校だった。私の成績はと言うと、全国的には悪くなかったが、校内では地の底。学外の価値観に影響されていた私には、この学校のありようは異様に思えた。大学進学ばかりが人生ではない。好きな道に進むことこそが成功者のはずなのに。
それなのに学内の価値観では、進学せずに社会に飛び込むことこそが、ドロップアウトを意味していた。つい先日まで「カコイイ」対象だった自分が、一気に「カコワルイ」になる。それは純粋な恐怖だった。希望進路は、別に大学になど行かなくても出来ることだったが、自分が恐怖から逃れるためだけに、それを専門に学ぶ大学で最高の国立大学を志望したのである。
結局、私はその後志望大に進学し、現在は希望職種に就いている。もし学外の友達のみの世界で生きていたら、きっと大学には進学しなかったし、犯罪に手をそめることになったかもしれない(実際、当時の学外の友達の中に逮捕者が複数出た)。中高時代、学外の自分は非行をカコイイと言い、堕落を肯定する生活を続けてきた。それでも、どこか冷静な学内の自分が「このまま遊びほうけていてはまずい」と警鐘をならしていた。高3の春に感じた恐怖感は、間違いなく学校、ひいては両親によって植え付けられたものだ。
子供は思い通りには育たない。姉と違って、私は自分で進路を選び、アルバイトを選び、友達や恋人を選んだつもりでいる。それでも、私の判断にはどこかしら両親の臭いがして、まんまと純粋培養されていたことに、改めて気付かされている。今となって考えてみると、両親の純粋培養計画は結果的に姉妹とも大成功しているんだろう。非常に悔しいが、認めざるをえない。