はてなキーワード: 町田康とは
津山三十人殺しもすごいけど、河内音頭でよくやる河内十人斬りもすごいよなあ。まあ規模は3倍だし、こっちは二人がかりだけど。
wikipedia : Kumatarō Kido and Yagorō Tani / 河内十人斬り
これを元に町田康が書いた「告白」って本は良い出来。
町田康といしいしんじの『人生を救え! 』では、「人間の悩みは全て『人間関係』の悩みに還元される」と結論付けてあって、
「金が無い」→「体面が保てない」という風に展開されている。
例えば、「社会的強迫観念」は金が無いことによる悩みではなく、
「社会的強迫観念」を感じる自分と周囲の関係への悩みであるというように。
当然、金が無い故の悩みというのは、金があれば解決するし、
人の心も金で変える時代に於いては、「金がある」と「殆どの問題は解決できる」は等価のように見える。
だけれども、そこに新たに発生するであろう、「心を金で買った関係性」への悩みは、
金で解決できる性質ではなくなってしまう。
結局、金で解決可能なものは一時的なものとなってしまい、
金さえあればこの世の問題のほとんどは解決できるのである。
はあまりにも早急な結論のように思われる。
http://anond.hatelabo.jp/20070209131658
そして、婆ぁにしてみれば、昼間は学校に行く学生と違って、日中もずっと家にいる自分は、使いでがあるらしく、四六時中ベルを鳴らしては自分を呼び、用が済むと、別に、いくらいくらと決まっているわけではないが、若干の小遣いと腐った羊羹など菓子を呉れるのであるが、最初のうちは、ちょっとした用事で済んでいたのが、婆ぁは、だんだんに増長して調子を出し、この頃では、ひとつ用事が終わっても、それが済んだら庭の草刈り、それが済んだら買い物、と、一回のベルで、次々に用事を言いつけ、もう自分は、化物使いという落語や、ガルシア・マルケスのエレンディラという小説を連想するくらいに、うんざりして、婆ぁのところに行くのがすっかり嫌になってしまったのである。
小学校のクラスに二崎貢司って奴がいて、こいつは凄い頭良くて勉強できたくせにサドで苛めっ子で何考えてるか判んないところがあって、突然何も理由が見当たらないのに昨日まで一緒に遊んでいた男の子をハブったりして一人で楽しんでたようだったのだが、クラスの皆がこいつをどう扱っていいんだか判らないまま勉強できるし運動できるし口は達者だし何か怖いし何が理由で嫌われたり好かれたりするんだか判らないしということでとりあえず二崎君はクラスの中心に置いといてアンタッチャブルって感じだったんだけど、そんな二崎に対抗したのが隣のクラスの浦安正輝で、その浦安の友達で、浦安が二崎をボコったときに止めに入ったのが金田陽治だった。
この二人が面白い。
まあ、「文学賞メッタ斬り!」の受け売りなんだけどね。