勉強は高度なレベルを除いて、万人に共通化されたカリキュラムだ。ファジィさはない 一方コミュニケーションはファジィさの塊だ。双方の好き嫌いや持って生まれた容姿などでほぼ...
人間がコンピュータのようにインプットされた情報を一字一句違えることなく暗記できるのならその理屈も通るだろうが。
高度なレベルを除いて勉強とは記憶であり記憶には答えがある。だから必然的に判断基準として「解答との誤差」という明確な物差しが生まれる。 一方、コミュニケーションにはそのよ...
「物差しはない」のに「ほぼ全てが決まる」とは一体? 「成功」の定義が明確でないだけで「能力」という概念は否定できない。 そして生来の素質(容姿など)に多分に左右される点は、...
物差しがないのはコミュニケーションの採点についてだぞ? それで得られる地位や金銭なんかはある程度物差しがあるだろう。
勉強のカリキュラムだって人が決めているものに過ぎず不変の真理などではない。 コミュニケーションの曖昧さを減らしたいのであれば心理学を勉強すればいいのではないか。
勉強のカリキュラムは世代で多少変わっても基本的には変わらない コミュニケーションは完全に人による 心理学もアテにはなってない
心理学は駄目?ではコミュニケーション学を勉強してみては?
コミュニケーション学が全く正しいなら、少なくとも科学と同じ程度に正しいならとっくにカリキュラムに入ってるわ。 実際にはコミュニケーションとは相対的要素も多いので役には立...