読んだ。この記事、質的研究より量的研究を推奨する記事に読めるんだけど、なんで君はこの文脈でこのURLを引っ張ったのかわからん。 すごい質的研究者に配慮はしてるけど、質的研究...
お前がそう読解するのは勝手だけど、質的が普通に社会科学の中で受け入れられてることは理解できたか?
うん。理解している。それが間違っている、と言っている。
フェミニズムと戦ってたはずの人がいつの間にか社会科学全体と戦うことになるやつだ。 バカと理系とミソジニーを混ぜ合わせて数年間熟成させるとこうなる。
それな!自分でも多少そう思ってるところはある。ところで、ミソジニーって、フェミニストに散々責め立てられて育った人間が、フェミニストは攻撃してくるから怖い、いやだ、って...
ミソジニー=女性嫌い フェミニスト=女性(名誉女性を含む) な訳で、どんな理由であれ フェミニスト嫌い=ミソジニー となる
そっか。んで、フェミニストの母親が、息子をミソジニーにするのには、君は「しかたない」として同意なのかな?
ならご自由にどうぞ。思うのは勝手だ。
了解です!
すごい、まったく文章が読めていない。やはりバカだ。
横だけど、正しい文章の読み方なるものの答えを書いたら?
個人攻撃しかできない人間が、個人攻撃で満足しちゃう人を装って書いちゃってるから仕方ないんじゃない? ワイ的には下記の分とか、量的>質的であることを端的に書いてある記事だ...
そこが一番量的が劣るわけではないと質的側が言ってるところなのに、単純に読解力がないんじゃないの。都合良く読み過ぎだろ。
えぇ…棄却されていいのかよ…
いいよ。自然科学の一部以外では理論の正しさは相対的なものでしかないから、棄却って言っても確からしさが少し減るってことでしかない。
自然科学の一部以外では理論の正しさは相対的って思ってるならもういいよ。私とあなたが他人である以上「相対的に」はもはや会話不能しか意味しない。
逆逆。相対的には会話できるけど、絶対的には会話できない。二者間で本当に意思の疎通ができていることは証明できないもん。
二者間の意思疎通の確認が取れないから、2つの主観どちらにも属さない客観性が必要だと思うんだが…相対的にしか正しさを記述できない、って意味なら同意なんだが。 相対性がある...
状況Aではaが正しいが、状況Bではbが正しい、みたいなのがそんなに受け入れられないか?相対的な正しさという点からはややずれるが。 もちろんaとbの背後には統一理論がある...
もしかして、 別の事態や、別の地域や、別の要因を組み込むとたぶん出てくる。おそらく一部の集団だけ取り出してみると、仮説は支持される。しかし、ならしてみるとたぶん統計的に...
お前は何か勘違いしてるけど、仮説を出すってのが科学の根本的な営みなの。 もちろん誰が見ても間違ってて無意味な仮説なら意味無いし、客観性があって検証済みならそれに越したこ...
仮説しか出してないじゃん。証明されたことあんの? 構造的に証明できないってことをわかったうえで、仮説だけでいい、ってのは開き直りでしかない。
証明されなくても10年20年経てば少しずつ洗練されて良くなるよ。 自然科学でも理論はそうでしょ。
自然科学って、証明によって宗教的支配を克服してきた歴史があるんだよね。社会的に宗教的なものを正しいとしていた人たちに対して、事実的・論理的証明によってもはや批判の使用...
全く逆だろ 中世以前の学者は宗教者階級が多い 無色でも生きていける余裕のある立場 そしてそれが尊重されていないと優秀な頭脳が交わらず学問にならない
人文科学は基本的に質的しかなくても普通に発展してきてるんだが。