今、ひとり静かに自分の心を観察すると、欲望を持つ私とは別の、静かな自分が自分を見ている。
私は、欲や、渇望や、衝動、怒りや苦しみが本来の自分だと思っていたけれど、違った。
この、静かな自分(自分と呼んでいいのかもわからない、身体の奥から見つめる瞳)が所謂、仏性なんだなぁと思った。
Permalink | 記事への反応(1) | 01:29
ツイートシェア
今と云う刹那の時点 此処という空間の質点 意識として凡ゆる営みの出発点