ナチスの過激な主張は一部のドイツ人にはウケていたが大きな支持は得られなかったため、ナチスは長らく過半数どころか第一党も取れていなかった。このため対立議員によるテロ(国会議事堂放火事件)をでっち上げて片っ端から逮捕させてから選挙を行い、それでも十分な議席数を得られなかったために親衛隊を使って反対派議員を"物理的に"拘束して採決に来させないといった手法を駆使して、ようやく通したのが全権委任法なのである。
ナチスが第一党になったのは1932年、国会議事堂放火事件は1933年なのでこの記述はおかしいのでは
Permalink | 記事への反応(1) | 14:15
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1932~1933年は比較第一党は取れたけど大統領選挙で負けたが正しいな この時の選挙で共産党も躍進したことから放火事件に繋がっていく