新渡戸稲造の『武士道』は、多分に「ぼくのかんがえたさいきょうのおさむらいさん」の度数が強いので
そのまま受け取るのは危険。
新渡戸稲造自身、江戸時代の生まれではあっても「侍」「武士」というものが確たる存在だった頃の時代は
知らないのだから。
Permalink | 記事への反応(1) | 23:52
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少なくとも、武士道の体系的な聖典ではあるわけです。 現実には実現されがたかった理想ではあったにせよ、それは多くの武将の例を引いて、武家の理想的倫理観を示している。