表立って愛らしさの獲得を目指せない男性も、自分とそっくりな面を持つ「こなた」や「桐乃」が愛でられることによって、自分の内面が愛でられたような満足感を得られるのではないか。
表立って愛らしさの獲得を目指せない男性も、自分とそっくりな面を持つ「こなた」や「桐乃」が愛でられることによって、
自分の内面が愛でられたような満足感を得られるのではないか。
違うと思うなあ
現実の女性の声がいろんな場面やメディアで聞けるようになって
憧れやロマンが詰まった女性キャラ像っていうのが成立しなくなって
憧れやロマンではなく共感型になったんだと思う
共感は男の属性をそのままぶちこんじゃうのがてっとりばやい
Permalink | 記事への反応(1) | 16:54
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