2010-09-14 23:44:09
本物の熱狂
深く理解しなければならない時が来たと感じました。
(新しいことを産み出すのは一人の孤独な熱狂である)
新しいことを始める人はいつも少数派であり、
少数派のたった一人が発見して熱狂していることに、
多数派が興味を持つことで新しい価値は産み出されます。
だからその人の熱狂が本物だとしたら、例えどんな
偏狭な話でも、大多数の人が反対する事業でも、
挑戦する価値があると思う。
価値があるどころか、世の中を変えてしまうような
商品を産み出すかも知れないし、大きな金脈を
掘り当てる可能性もあるわけで、
無い機会と判断するべきだと思います。
しかし、現実には大多数が反対する話のほとんどは
でもそれでは二番煎じか凡庸な事業しか産まれません。
なってきています。
そしてもう一つ、それが本物の熱狂かを見極めるのが
とても難しいですのです。
他社のサービスを安易に真似したものであったり、
何かと何かのツギハギ合わせで中身が薄っぺらかったり、
それが一見あり得ないようなおかしな話であっても、
その人の言葉に本当に魂が篭っているか、
それを深く理解し夢中になっているか、
心の底からそれが素晴らしいことだと考えているかを、
なんとかして見極めなければなりません。
誤魔化しが利かないメディアだと思います。
創り手が心から素晴らしいと考えていないサービスは
即座に見向きもされなくなるでしょう。
初期の頃はともかくユーザーが使いこなせばこなすほど
その傾向が強まっています。
本物の熱狂とは、それを成し遂げる為であれば、
内包したものだと思います。