ある人物がいる。
祭り上げる。時の人へ。
落とす。叩く。こきおろす。
その後「あの人物の意外な素顔」特集。持ち上げて「ちょっと良い話」化。
この繰り返し。
いい加減、食傷気味。
しんどくならないんだろうか。
単発が沸いてきたな
アルファブックマーカーなんてまだいんのか?だらだら巡回して愚にもつかない思い付きをポチポチ書いて、取り巻きがわらわら集まってくるのを眺める作業を延々と続けてるんだろ?よく飽きないよな。
●低学歴だが資格を色々持っていて一見能力が高そうに見えても、
それは悪い地頭に知識を詰め込んだだけの付け焼刃なので、長期的に見ると高学歴に追い抜かされる。
だから資格なんて大して重視してないし、低学歴はすぐにボロを出す。
●就活マニュアル本のような面接の受け答えをする学生は、実は悪くないと思っている。
少なくとも就活の準備をきちんとやっているのが分るし、
白々しいお世辞ばかりのマニュアルにも従えるだけの社会性が身に付いており、
理不尽な事にも忍耐強く取り組む事が出来、仕事でも扱いやすそう。
●逆に面接で本音を見せてしまうような奴は、社会人としての建前をわかってない幼稚な人間で、
忍耐強くなさそうで、ちょっと理不尽な事があったら文句を言って辞めてしまいそうだし、
顧客の前にも出せないので使いにくい。
実際は全く使えない奴な上に問題を起こす人間である可能性もある。
日本では正社員は簡単には解雇できないので、そういった人間は入社させたくない。
つまり、
「決め手は”人”です!」
「テニサーで副部長を務めました!
皆の心をまとめあげ一致団結し、大会でも準優勝を果たしました!」
「アルバイトは家庭教師をしており、生徒を無事に第一志望に合格させました!
この経験から、人に教える事の難しさを学びました!」
みたいな誇張された嘘っぽい経験談を無理やり志望動機に結び付けた、
このような人間は建前をわかっており、社会人としての心構えが出来ていると考えられるからです。
もし何か一部の事に秀でていても、
コミュニケーション能力が低そうだったり、
声が小さくて暗そうな雰囲気だったり、
部活やサークルに入ってなくて集団行動ができなさそうだったり、
体力がなさそうだったり、
んなもん自分で考えろ。俺が書いたことがお前にとって正しいとも限らないだろ。
いちいち真に受けんなよそんなこと。
元増田の「男は」を「俺は」に置き換えて読めば気にならないだろ。元増田は自分が女とやるためにはなんでもする男だから他の男もそうだと短絡的に考えているだけだろ。元増田みたいな発想でいていいのは若いときだけだな。年取ってきてもこういう考えだとものすごく痛い人だな。
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1003/30/news059.html
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20100330_357727.html
大きさは約83×149×17.9mmで、重さは約227g
83×149ねぇ・・・って手頃なサイズ調べたら
文庫をちょい幅狭にした感じで
DSの大きいほうに近い(LLは大きすぎた)
って感じか。
若き日の谷川俊太郎さんは詩集『二十億光年の孤独』で世に出た。本の題名にもなった名高い詩は、〈人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする〉と始まる。
(略)
谷川さんの詩を、オバマ大統領に献上したくなった。2030年代を目標に火星に人を送るという新しい宇宙政策を打ち出した。(略)「月へ行く」とケネディ元大統領がぶち上げたとき、米国はまだ地球を回る軌道にも人を送ってはいなかった。それから8年後、人類は月に降り立った。
想像を刺激されたのだろう、その年に福島県の小学生が書いた「うちゅう人とお話を」という詩がある。〈わたしは まほうじてんを開いて/うちゅうのことばで 話しかける/「ガガガ ルル ルル ララララ ピル」っていうと/「ルルル ダダダ テテラ テテラ」てしゃべるかな〉(児童詩誌『青い窓』から)
子どもの感性には詩人も脱帽だろう。この詩もオバマ大統領に献上したくなる。宇宙人と話すための「まほうじてん」を探し出して、そっと添えながら。
「フテンマ キチ イセツアン デス」っていうと/「ワカッタ ソノアン デ イキマショウ」てしゃべるかな
てめぇ百合をバカにしてんのか?
あれ聞いてると死にたくなる。
「男にとって女はセックスマシーン以外のなにものでもない。男はセックスをするためだったらなんでもする。君らはだまされてる。男なんか信用するな。」
こういう文章を読んで感じる違和感は、「男」という言葉が使われる事、だな。こういうタイプの男がいるという事は同意なんだが、全部じゃないぞ。俺も男だが、「なんだってする」なんて事ができない。
で、こういった上ではっきり言っておくが、批判したいわけじゃない。その逆。俺も「セックスのためならなんだって」できるようになりたい!
でも、そんなうまく「なんだって」なんか、できねぇ!だから女の子とセックスなんかできねぇ!
で、俺と同タイプの男は、自分のダメさへの怒りと屈辱感、そして満たされない性欲の渇望から、ああどうやったらセックスできるんだろう、などと呟いてしまい、「女をものあつかいしている」と批判されてしまうんだ。
そりゃ確かに、多分、ものあつかいしてるんでしょう、妄想のなかでは。身近に好きな特定の女の子がいるわけじゃないから、どうしても「女」というおおきな概念になってしまうし、そんな風に相手がはっきりしないのにそもそもの欲求の根本は性欲ですからね。
でも、うちらみたいなのは結局、女の子をものあつかいし切れない。実際に眼の前にこられたら、照れたり、あがったり、こんな事言ったらどう思われるんだろうと心配したりで。
で逆に、女の子をもの扱いし切れる男がそういう女の子をさらっていくんだよ。
なのにうちらまで「なんでもする」男の一員に入れられたんじゃ、たまりませんよ、はい。