2010-03-12

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核密約」なんかどうでもいい

韓国中央日報日本語ネット)が「鳩山政権、日米核密約の「パンドラの箱」開くか」の見出し朝日新聞の後追い記事を書いている。

朝日はしきりに「核密約」の存在をオオゴトにしようとしているが、何がそんなに問題なのかわからない。もし、問題があるとすれれば、自民党政権が当時の世界情勢のなかで核があった方が「さしあたって」日本の安全に役立つということを日本愚民ども国民にちゃんと納得させる努力をしなかったことだ。

核持ち込みを認めたら、自民党政権転覆すると恐れたのかもしれない。たしかに当時の日本人の核アレルギーは根強いものがあったことはたしかだ。しかし、アレルギー患者はおおむね、中国の核はきれいだというような左翼たちであって、おおかたのまっとうな日本人は、昭和天皇と同じように反共であったし、日本平和に暮らしていくにはアメリカの核持ち込みもやむを得ないと思っていた。

しかし、なぜ、「核密約の存在」がそんなに問題になるのだろう。密約があったからといって、なにか日本国益を損ねただろうか。第一、米軍が核を持ち込んでいないと思っていた国なんかどこにもいなかったのだ。ソ連中国も当然米軍は核を持ち込んでいると思っていた。そんなことは戦争ゲーム常識である。

もちろん国民に嘘をつくより、つかない方が良い。しかし、嘘をつかないためには国民がそれだけ国際政治のリアリティに耐える知性がもとめられるのだ。三原則など掲げずに、アメリカの言うように「持ち込んだか持ち込まないかどちらとも言わない。それは高度な軍事機密に属する」と言っておけば良かったのだ。もっとも愚民ども大衆を納得させるのは至難の業だが。

密約があったかなかったか、いまさらどうでもいいことだ。東アジアだけではなく、世界冷戦構造の中で米軍の核が戦争抑止力になったかどうかが重要なのだ。そう考えると、米軍核の傘というのは、日本に核を持ち込んでいるかどうかではなく、敵の核攻撃に対して米軍報復攻撃をしてくれるかどうかの問題だ。

重要なのは「核密約」の存在ではなく、日本が攻撃されても米軍日本を守ってくれないということが次第に明らかになってきたことだ。尖閣諸島安保条約の適用範囲かどうかどうも曖昧にされているし、北朝鮮拉致は明らかに日本の主権が侵害された戦争状態にもかかわらず、アメリカは自国の新聞記者は断固として取り返すくせに、日本拉致被害者は助けようとはしない。

かばかしい、「核密約」なんてどうでもいい。いま、日本に必要なのは核武装論議である。

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