平成22年2月17日(水)の読売新聞のコラム「「電子黒板」より生身の職員」があまりにも酷い内容だったので筆を取らざるを得なかった。
佐藤卓己という京大準教授が書いたというこのコラムの内容は、要約すると下記のような内容だ。
「電子黒板など意味がない。なぜならば10年前、教育現場にパソコンを導入しようとして失敗したではないか。電子黒板などノそんでいるのは情報機器メーカーだけだ。電子黒板事業など事業仕分けされて当たり前だ。唯一成功したメディア教育は黒板と教科書を媒介した人間的な教育だけだ。」
この佐藤卓己という人間は、民主党のまわしものか、日教組の組合員か。いずれにせよ、教育の現状を知っているまともな人間ではない。
教育現場でのパソコン導入が失敗したのは、パソコンの使い方がわからない教員のせいだ。
教員たちはパソコンを与えられても「仕事を増やすのは労働者の権利を侵害する」などと言って学ぼうとせず、ホコリを被って可動すらしない状態になるまで放置しておいて「そらみたことか。そんなものは教育に役立たない」と言った。
また、生徒たちが「パソコンを使いたい」と言っても「壊したら責任が持てない」などと言って触らせもしなかった。
結局、子供達は自発的に携帯電話や電子端末を持つ事となった。それが子供達本人の負担、教育、情報の格差に繋がっているにもかかわらず、学校教育はそれらを無視してきた。
「学校裏サイト」などというものができて、子供達自身が作り出す電子メディアが学校の運営を脅かす状況になっても、教員たちは「それは外部の事だ」と無視をきめこんでいる状態だ。
電子黒板がどれほどのもので、果たして成功するかどうかわからない。
しかし、間違いなく言えるのは、「唯一成功したメディア教育は黒板と教科書を媒介した人間的な教育だけ」なのではなく、
教員の怠慢によって、教育メディアはアナログにとどまっているだけなのだ。
それをよしとするのでは、あまりにも向上心がない。向上心のない教育など、教育ではない。
先日、SFCネットビジネスイノベーション政策フォーラムでは「物事を覚え、関心する最大の原動力は感動である。感動を与えるために、感動的な電子デバイスを全ての子供達に渡そうではないか」というスピーチがあった。
それをネットを通して観ていた数万人の人が「教育は感動」という言葉に感嘆した。
しかし、もし今の教育現場に感動的な電子デバイスが導入しても、教員達は己の怠慢のために子供の感動を剥奪するだろう。