日本語は滅ぼすべき。(なるべく計画的に)
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728
を読んで。
色々言いたいことはある。
何を残して何を滅ぼすべきかの選択権を握ってはいけない。だいたいにおいてその選択は誤る。
都市化のために木を削っていった結果、ヒートアイランドに悩まされているようにね。
既に滅んだ言語や方言があると言うけれども、それはお偉いご老人がごほごほ言いながら議会で可決したこと?
これはもう、自然の流れにまかせるしかない。例え滅びるのが運命だとしても、川の流れを早くすることは無理なんだよ。
日本語が下流に存在するとしても、下流だからこそ色々ごちゃごちゃとした面白いものが流れてくることだってある。
次の一つはこの手の話の批判として「日本語は豊か」なんてのはもう飽き飽きだってこと。
別に広辞苑とOEDの厚さを比べて「英語の方が豊かだ」なんて言うつもりはない。
全世界の人間は自分の母国語こそが一番豊かだと信じている。それはその人がその言語において豊かな表現者だからだ。
だからこそこんなことは言っちゃいけない。自明のことだ。
そして、一番言いたいことはこのブログの話者には技術という視点が全く欠けていることについて。
URLさえ打ち込めばどこの国のどんな人間でも同時に同じ情報を見ることができるんだ。
こんなことって信じられる? ちょっと前の衛星放送なんて声が遅れて聞こえてきたのに。
だから十年後、完璧な自動翻訳が可能になっていないだなんて、私たちには言うことができない。
不便だから努力するという時代はどうやらそろそろ終わりらしい。
みんなもやりたい事があったらその機能があるフリーウェアを探したり、解決法を調べたりするよね。
完全自動翻訳は無理だろJK
軽々しく「無理だろjk」なんて言いきっちゃうようなことをしない人間が、いつか創り出すと思うよ。
軽々しいのはどっちだよ。夢見すぎだろ。