2009-02-16

言語技術ボーダーレスになる。

日本語は滅ぼすべき。(なるべく計画的に)

http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728

を読んで。

色々言いたいことはある。

一つは現在の色眼鏡から逃れることのできない私たちには

何を残して何を滅ぼすべきかの選択権を握ってはいけない。だいたいにおいてその選択は誤る。

都市化のために木を削っていった結果、ヒートアイランドに悩まされているようにね。

既に滅んだ言語方言があると言うけれども、それはお偉いご老人がごほごほ言いながら議会で可決したこと?

これはもう、自然の流れにまかせるしかない。例え滅びるのが運命だとしても、川の流れを早くすることは無理なんだよ。

日本語が下流に存在するとしても、下流だからこそ色々ごちゃごちゃとした面白いものが流れてくることだってある。

次の一つはこの手の話の批判として「日本語は豊か」なんてのはもう飽き飽きだってこと。

別に広辞苑とOEDの厚さを比べて「英語の方が豊かだ」なんて言うつもりはない。

世界人間自分母国語こそが一番豊かだと信じている。それはその人がその言語において豊かな表現者だからだ。

だからこそこんなことは言っちゃいけない。自明のことだ。

そして、一番言いたいことはこのブログの話者には技術という視点が全く欠けていることについて。

インターネットの登場と普及で情報ボーダーレスになった。

URLさえ打ち込めばどこの国のどんな人間でも同時に同じ情報を見ることができるんだ。

こんなことって信じられる? ちょっと前の衛星放送なんて声が遅れて聞こえてきたのに。

だから十年後、完璧自動翻訳が可能になっていないだなんて、私たちには言うことができない。

不便だから努力するという時代はどうやらそろそろ終わりらしい。

みんなもやりたい事があったらその機能があるフリーウェアを探したり、解決法を調べたりするよね。

それに時間お金をかけるなら、数百万人に英語学習させるよりも、数百人に自動翻訳研究をさせた方が現実的だと思わない?

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