2009-02-07

代理店金取りすぎてのは事実だとして、適正な価格てじゃあ、どうやって決めるのかなあ。効果測定?でも、効果測定ってどういう方法で、どこにその基準を決めるのかで揉めると思う。それに、もっと根本的なことをいうと、広告とかCMとか単体の費用対効果なんか怖くて誰も測りたくないんじゃないかな。申し訳ないけど、あれってゴミみたいに大量に、色んなやり方で露出させるから成立する商売であって、単独の「広告」なんて成立しないように思う。

一定以上の閾値を越えてないものと越えているものでは、当然「効果」の基準も変わるだろうし、その場合、総体としての「適正な価格」とかどうやって客観性を持たせられるんだろうか。もちろん、既にあるものの中で役に立つとかより良いとかは語れるかもしれないけど、そもそも商品としての広告それ自体の価値なんて状況との相関関係の中でしか語れないし、そんなものどうやって測れってんだ。学者にしろ専門家にしろ、理屈はたくさん提出してくれるけど、あれって一般論でしかない上に、すでにそれが成立している状態からしか始められないから、そんなものを頼りに「効果」と「費用」の関係を問われても困る。

正直な感想を言えば、客観的な測定とか絶対無理。業界でもいいし、ビジネスモデルでもいいけど、確立された状態から逆算して一般論として述べることは出来ると思うけど、それを事実と一緒くたにするのはちょっと俺には出来ない。効果って言われてもな、というのが本音だ。企画書とかプレゼン資料の中でなら有効/無効は問えるだろうけど、ああいうのは最初から目的ターゲットも決まってるから意味があるんであって、相対的な客観性でさえも厳密に証明するのは困難だと思う。

個人的には、という言い訳をしたうえで言わせてもらえば、あらかじめ売るものとターゲットを決めないでビジネスの有効性とかなんて問えないし、いわゆる方法論的な理屈それだけで成立するほど単純なものじゃないから、何の前提もなく「効果」とか言われても正直そんなものは測れない。…て言えれば楽なんだけどなあ。

企画書でこうすればこうなるみたいな話をするのは、「ある企画を成立させるために有効な方法」ということであって、その場合ターゲットクライアントでしかない。クライアントがそれに価値を見出すとしても、そうするための企画書やらプレゼン資料やらなんだから当たり前。それは世の中の話でもないし、ましてや「世界」とか「社会」の話じゃない。会議室の狭い空間の中で、相手と自分曖昧な合意の下で始めて意味を持てるだけ。もちろん、クライアントだって馬鹿じゃないからちゃんと読む人は読むけど、それって単に「企画書の読み方」とかそういう話でしかない。

全てが嘘だとは言わないけど、広告の客観的な効果とか厳密に問いだすときりがない。大半の人間はそれが分かってるから、そんなものに手を出さない。でも、世間じゃ何故か広告論とかマーケとか人気。大学コンテンツビジネス(そもそもこの言葉がすごく胡散臭い)とか学んでる連中にいたっては、本気で理屈を信じてたりしてもう…。個人的にああいうのを客観的事実みたいに語られだすと、正直、引く。客観的合理性があるのは、単に商売が成り立ってて、現にそれでやってられるから。別にそれが間違いだとか、ましてや道徳的にどうこう言いたいわけじゃないけど、価値とか有効性とかって表現を使わざるを得ないのはそもそもが物凄いたくさんの前提の上に成立するものでしかないし、逆にいえば極めて限定的なかたちでしかそんなもの成り立たない。と思う。いや、ほんとに。

理論家に期待してるのは商売に役立つことであって、客観的事実の証明じゃないからいいんだけど、そういうのって一人歩きしだすから怖いよ。そのうち、自分でも半分くらい信じ込みはじめるし。経験的な蓄積から帰納して理論をつくるのはいいけど、帰納していく過程が証明できんのか、俺には疑問。でも、きっと周りは素直に「市場」とか信じてるんだろうなあ。仕事だからやってられることをうっかり信じこみはじめると自分の首を絞めかねないから、早めに色んなことに見切りをつけておこうと思う。そうしないと、なんか手酷い失敗をしかねないし。

学生は話半分で講義を聴いてた方が身のためだよ。役に立つのもあれば、立たないのもあって、即座に学問上の理屈として間違いなわけじゃなくても、少しも事実でないことなんていくらだってあるんだから。ま、プレゼンで色つけるのには有効だけどさ。でもな、本当のことを話すとそれって対クライアント関係で成立してるだけだから。向こうの立場が明らかに強くかったりすると、相手がちょっと勉強して強気に出たら、単なるレトリック程度じゃ一蹴されておしまい。((でも、それだって「説得力」て話でしかないから、事実とは関係あんのか不安に思う。その辺はディベートとかと同じ。あくまで、相手にあわせてどういうレトリックを使えばいいかでしかないし、逆にいえばそれを越えて悩むのは不毛。))

老婆心で言わせてもらえば、一生懸命なのは分かるけど、そういうときに仕事上の作法としてどういうレトリックを使えばいいかだけを身に付けて、自分の「信仰」を守ろうとするのはやめたほうがいいよ。あと、仕事学習したことを私生活に持ち込むのは見てて辛いからやめて。個人個人の主観とか経験とかを超えて共有されているように見えても、それは単に業界的な約束事だったり、下手をするとその職場でしか通用しないものだから。そういうのを使って優越感に浸りだすと、個人的には「終わってんなあ」という感想しか抱けない。

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