そういう善意の遠慮というか、彼女たちの「ここからは立ち入って欲しくないプライベートゾーン」みたいな境界に気づくたびに、
ああ、面倒だ……と思ってしまう。
だって、彼女が仮面をかぶるなら、私も仮面をかぶり、お芝居にそった台詞で対応しなくてはいけない。
そうしなければ、彼女たちにとって私は距離感の読めない人、ということになり、友達という関係が壊れてしまうわけですから。
それで、そこまで頑張って付き合うほど、私にとって彼女が必要でなかったんです。もちろん彼女にとっての私も同じだと思います。
本音と建前を使い分けるのが億劫。だからといって本音で話そうとすると
相手はするりと身をかわして逃げてしまう。友達は面倒くさい。
と捉えたのですが、これでオッケーでしょか。
私は元増田さんが「友達」という関係にこだわるのが不思議でしかたないです。
なぜそこまでして「友達」を定義づけようとするのかなあ、と。
なんで、そこまでするんだ? と思う。なんで、そこまでできるんだ? と。
なぜそこまで相手に付き合ってやれるんだ? と。
つまり日常的に相手に合わせることを厭わない友達の多そうな人が、同感してくれるんだ? と。
私にとって本音と建前の使い分けはそんなに苦にならないというか、むしろ使い分けることで気分転換になってます。
自分ひとりでいると鬱スパイラルにはまるけれど、他人の前で役割を演じることでちょっと楽になれる。
「友達はいなくても構わないと考えている。友達を作れと強制されることや
友達がいないことをバカにされることは不愉快。ほっといてくれ。」
というところです。
メールやネットなど、細い糸でつながっていることすら面倒くさい。
むしろどうしてそこまでできるのか、それを知りたいです。
いやー私ほとんど電話もメールもしないです。発着履歴はほぼ彼氏か両親。
飲みに誘われることも3か月に一度あるかないか。誘うのは1年に一度あるかないか。
ところで元増田さんって今おいくつですか?
なんとなく文面見てると二十歳前後なのかなーという印象を受けるのですが。
私は23歳の院生です。
本音と建前を使い分けるのが億劫。だからといって本音で話そうとすると 相手はするりと身をかわして逃げてしまう。友達は面倒くさい。 大体そういうことです。 こだわってい...