思うところがあったので書いておく。
「聖☆おにいさん」を面白いって言いたくない相沢が選ぶマンガアワード2008
http://d.hatena.ne.jp/osamu-teduka/20081219#1229640209
「聖☆おにいさん」が面白くない、と言うつもりは全くないし、実際にモーニングツーが家にあったら飛ばさず読んでくすっと笑うが、それでもやはり「『聖☆おにいさん』って面白いよね」とは言いたくないのだった。「聖☆おにいさん」が嫌いだというわけではなく、だから作者にもマンガにも罪はないが、「聖☆おにいさん」をとりまく空気が嫌いだ。それは「聖☆おにいさん」がものすごく売れているっていう事実とか、「聖☆おにいさん」を好きだって言いそうな人の顔とか、そういうのを全てひっくるめて「『聖☆おにいさん』が面白いマンガとされている空気」がものすごく嫌だ。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081219/p1
『聖☆おにいさん』をきらいならともかく、本来おもしろいと思っている漫画を政治的理由からそういわないという態度は、ちょっとひねくれすぎているんじゃないか。
ぼくは、可能なかぎりそういう「漫画を巡る政治性」から離れて、無邪気に好きな作品を好きといいたいですね。
ある作品をおもしろいと思ったら、それが社会的にどういうふうに扱われている作品であれ、素直におもしろいといえる自分でありたい。
何かを好きだと表明することで、自分にはセンスがあるというアピールをする方法がある。前者の記事は「聖☆おにいさん」がその一アイテムとして利用されている空気を嫌い、後者の記事はそんなことは気にせずに好きなものは好きでいたいと言っている。漫画に限らず音楽やお笑いにも置き換えられる事柄だ。マイナーバンドやダウンタウンをそのまま当てはめることができる。
さて、後者の記事を書いた海淵さんはそのようなセンス競争は不毛であり、自分は参加したくないと書いている。本当に好きならば自意識を外に置き、作品を取り巻く空気を無視して素直に楽しもうというわけだ。
では、そのような態度を取ることがセンス競争の離脱へとなるのか?
結論を言うと海淵さんは絶対にこんなことを書くべきじゃなかった。もし本当にセンス競争に参加したくなかったのなら、何も言わずに好きなものを紹介し、良いところを伝えていけばよかったのだ。こんなことを言ってしまった瞬間にセンス競争に回収されてしまう。海淵さんもはてブで同意している人たちも表明した以上、もう一生そこから逃れることはできない。「センス競争なんかしたくない」と言うことで積極的にセンス競争に参加してしまったのだ。
そのような表明をすることは海淵さんとその他ブクマーたちは「素直に楽しみたい」とピュアアピールをすることで、作品をセンスアピールに利用するものとそれを批判するものの両者を蹴散らし、センス競争において上位に立とうとしているにすぎない。
「センス競争をしてる人たちを超越してるピュアな自分ってすごい」と自己陶酔しているに他ならないのだ。キミたちは少しもそんな感情はないと否定できるだろうか? わざわざ表明してしまった理由についてよく考えてみてほしい。そんなポーズをする必要がどこにあった。本当にこれっぽっちもなくても表明をしてしまった時点で「ピュアアピール」「超越アピール」をしていると見られることからもう逃れられない。
これからセンス競争に参加したくないと思っている人は絶対に海淵さんの記事をブクマして同意しないように。そんなことはせずにただひたすら好きなものを褒め続けるしかない。それが競争から逃げるってことだ。しかし、そんなことがはたして楽しいのか、作品を取り巻く空気を一切無視することが可能なのか、可能だとして無視して出てきた言葉に価値はあるのか、私は疑問ではあるが。