某スポーツ新聞の懸賞で、一口馬主の権利が当たった(55,000円相当)。
でも入会金1万円に月会費3,150円。馬のえさ代が月に3,000円と、維持費が馬鹿にならん。
全然売れていない一口馬主の権利を、懸賞という態(てい)で安売りして売っているだけではないか。
なんか詐欺にあったような気がする。
you would better die
あたまのおかしいひとにからまれて
ともだちが「頭悪い奴にからまれてたね」って言うから
「いや病気なんだよ」といったら
「それはつまり頭が悪いってことでしょう」といわれた
こりゃあほんとうにあたまがわるい
だってさー、俺たちの労働問題をなんとかしようという話以外にも憲法改正反対、9条は日本の宝、在日米軍は出てけ、日米安保反対、世界を革命する力を! とか押しつけられるからなあ。
肉便器かあ、何もかもが懐かしい。
三年ぐらい、肉便器を飼ってたことがある。
同じサークルで知り合って、二人っきりになったときに
「処女なんですよねー」って言うから「じゃあやってみる?」って開通。
エロにはすごい興味あったらしくて、乾いたスポンジのようにテクニックを吸収。
会うときはどんなときでも即尺で、こっちも1時間ぐらい嬲ってからインサート。
体の相性も最高で、あんまり気持ちいいんで毎回二時間くらいやってた。
生理の時にアナル処女もいただいて、それからは結構アナル中出しにハマっちゃって。
でもやっぱやり過ぎると肛門開きっぱなしになるかな、と思って口出しに変更。
最盛期はほぼ毎日やってたから、かなりの栄養をおれから摂取してたんだと思う。
どう考えても、自分の都合のいいときに呼んだら来る肉便器に勝る性欲解消相手はいない。
それがある時からパタっと連絡とれなくなって、しばらくしたら「彼氏ができました」ってメール。
肉便器時代はあんなに「彼氏ができても余裕で肉便器」って言ってたのにwwwww
今でも溜まると思い出すけど、会ってはくれないねーやっぱり。
ちなみに当時も今もおれに彼女はいません。
あれ……目から汗が……wwwww
逆に男ツンデレにツンツンされまくった身としては、ツンツンされればされるほど、あった好意も急速に醒めていくので、早めに考え直したほうがいいと思います。
もし、耐え切れず、つい「あんたなんかどうでもいいもんね」発言をしてしまったら、どんな口調でもいいからすぐに「ごめん、今の嘘」って言ったほうがいいと思います。テンパってしまってどうでもいい発言をしてしまうのは仕方ないとしても、その後追加で言葉を付け加えることはできるでしょ。
ゼロアカ道場が面白い。道場の課題の内容などはほとんど理解できないのだけど、それでも面白い。
面白い面白いと言ってまわっているのだけど、あんまり理解してもらえないのでちょっとまとめてみようと思う。
ちなみに、私自身にはゼロアカ道場やそれに参加する人たちに対しては頑張ってほしいと心から思っている。
ゼロアカ道場について書く前に、まずはあの革命的テレビ番組について語らなければならない。
「ガチンコ!」である。番組の概略については以下のリンクを参照してほしい。
「ガチンコ!」が革新的であったところはいくつもあるのだが、それを一言で言うと、
という事に尽きる。
「テレビ番組」がすべからく「やらせ」である事はある意味で当たり前だ。「本当に」タレントが怪我したり、アクシデントが起こってしまったら放送できないのだから。その検閲をくぐりぬけ「お茶の間にお届け」された時点ですでにテレビ番組というのは作為的なものだ((その意味でその限界に挑んだという意味で初期電波少年というのは偉大な番組であった))。
「ガチンコ!」はそういうメディアにおいて「ガチンコ(やらせなし)」を名乗った。
そしてさらに凄いのは確信犯的にガチンコ!は「ガチンコ!はやらせである」とわかるような演出を施しそれを含めて視聴者に提供した事だ。(「ガチンコラーメン道」における「神輿やないねんから」などの超名言はその最たるもの)
つまり、「ガチンコ!」は、
「ネタ(演出手法)としての面白さ」
の二つを楽しめる番組の構造であったと今にしたら思う。そして、その楽しさというのは極めてプロレス的楽しさである(ガチンコ!の神ぶりについてはこちらを参照。http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8539/d35.html)。
翻ってゼロアカ道場。
「天下にあまねく評論家志望者を募り、関門をくぐり抜けた猛者一人に天下の講談社がデビュー作一万部を保障」
つかみはOKである。そして、人数が絞れてきたところで各人のキャラと名前・顔がはっきり分かるようになってきて俄然面白くなってきた。
そして文学フリマでの同人誌販売。「ネタ」としても面白くなってきた。
くれぐれも断わっておくが、私は「ゼロアカ道場はやらせである」などとは露ほども思っていない。
そもそも、こういった場が設定されることさえ前代未聞の快挙であると私は思うし、大変だろうなと思う。だけど、文学フリマでの同人誌販売という課題を見て「これって『揉めてくれ』って言ってるようなもんじゃね?」と思ったのは事実だ。
というか、「プロジェクト」なんてその重要さが増せば増すほど殺伐としたものになる。
しかも、一緒に同人誌を作るのは友達ではなく、ライバルである。
そもそも、「批評家」に興味のある人(今の世間では希少人種だ)の中のそれなりの数の人たちにとって「批評家」の本なんて読まないのではないか。彼らの「キャラ」を消費している。
「言説それ自体よりも論壇内プロレスの方が売れる」
という事に多くの人たちが気がつきはじめているのではないか。
現に、私自身も「ゼロアカ道場」には興味があるが、「そこでの言論」にはほとんど興味がない。
そういったところを見るにつけ、ゼロアカ道場のプロデュース側はある程度は確信犯なのではないか、と私は思っている。ガチンコ!ほど神の領域には入らないとしても。
とりあえず大臣の地位にあるような人が、一新興宗教の信徒であることと公人であることのどちらを優先させているか分からない状況
こんな状況あったっけ?
宗教団体の立正こうせい会は、民主党の支持母体になっていますけど、民主党の管さんは、立正こうせい会からの支援は今後は受けないのでしょうか?
立正こうせい会の会館を監視するひとは誰ですか?
憲法20条第1項
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
この「政治上の権力を行使してはならない」が、『制度としての信教の自由を保障するためだけの文言である』とする考え(たとえば直接信教の自由を侵すような政治権力の行使のみが禁止されている=「犬を神様としあがめなさいという法律を作るのはNG」みたいな)もあるが、それだけでなく、戦前の国家と神道の癒着・そこからくる非合理的政策や判断を無くし近代的合理性や人間性を回復することを目的に、『とにかく宗教が政治に口出すな、と釘を刺したルールだ』とする考えもあって、後者の立場からは前者が憲法の条文を弱めようとしていると批判されてる。その立場からすれば、とりあえず大臣の地位にあるような人が、一新興宗教の信徒であることと公人であることのどちらを優先させているか分からない状況というのが気持ち悪く感じられるのも当然かと思う。別に前者の立場を知ってるか知らないかという問題ではないと思うよ。