2008-08-11

はてな大喜利」ではしゃぐ低脳は知的メディアにとって癌

 

はてな村に来てから半年くらい経ったが、はてな村で飛び交っているネタとか揉め事とかはどうでもいいことばかりだ。

まさに「大喜利」である。

どこからともなくお題が湧いて出てきて、はてなーどもは我先にと「おれのネタのほうがおもしろい」「いやオレのほうが」「いや僕のほうこそ」...(中略)...といったコップの中の嵐をやっている。

はてな村に飛び交っているよく分からないネタや用語は、いわゆる「ネットスラング」と同根だ。例えば、2ちゃんねるには「香具師」という「奴」を意味するスラングがあるが、「香具師」という用語をわざわざ使わなければ語れないテーマなどない。つまり、使う必要がないのである。

もちろんこれは、「香具師」や「ぬるぽ」といった無意味言葉を"使ってはいけない"ということを意味しない。まさに使うも自由、使わぬも自由、である。

だが、ここからがネットスラング愛好者の愚かなところである。彼らは「スラングを言う自由」だけでは満足しない。「スラングを知っている」こと自体を一種の「特権」と見なすのである。実際にはどうでもいいようなネットスラングを「知識」という囲いで捉えて、そのインターネットスラングを知らない者を攻撃しだす。彼らは、自分の知識の浅さをネットスラングという空虚な代替物で、「上げ底」しないとやっていけないのである。なんと哀れな人種だろうか。

はてな村無意味ネタが飛び交っている。ブックマークがたくさん付いた記事の「はてぶページ」を見てみればいい。大喜利のようにコメントをつけているブックマーカー、そしてそれにスターをつけて「大喜利化」を後押ししているはてなユーザーの共犯関係が見て取れるはずだ。

このようにはてな村では「大喜利化」が進行しているために、「はてなスラングを見抜けるか否か」などという心底くだらない基準で議論(と呼べる代物ではないが)が行われている。最悪なことに一部では「ネタでした予防線」が張られ始めている。「大喜利」化のおかげで、自分の無知がバレそうになっても「ネタでした」と逃げることができるのである。ひどい場合には「ネタマジレスカッコワルイ!」と、なる。

はてな村のこういう傾向が進んでいくと、2ちゃんねるで言われる「半年ロムってろ」の状況に近付くのか。しかし、半年ロムったところで、得られる知識といったらそれこそ便所の落書きレベルの代物だ。

ところで2ちゃんねるや低脳はてなユーザーネットに過度な期待を寄せている。端的に言えば、

という安易な二項対立思考に陥っている。既存の報道機関の中でもテレビ大新聞の問題は別に日本だけではなく言われているが、メディアはそれだけではない。テレビ大新聞の問題ある報道姿勢を批判してきたのは、ネットが初めてではない。ここを認識しないでネットに過度な期待をするからネット脳になってネット言説に酔い痴れてしまって、やがてはネットスラングを神秘化してしまうのだろう。

ネット誕生する遙か前から、先人たちは文献上で新聞テレビなどのマスメディアを批判してきた。その批判の精度・深さを比べれば、大した知性も持たないような「市民」のネット言論などゴミ以外の何物でもない。

はてな村は、「人が集まったら面白いことを言わないといけない」という強迫観念にとりつかれている。テレビ視聴率競争のようだ。

ブログテレビ新聞などを批判するのなら、「先人たちの蓄積」に範を求めるべきだ。たしかにネットの出現により、既存のテレビ新聞業界は衰退していくかもしれないが、だからといって出版業界全体まで衰退するのは、それこそ知的なものに対する冒涜である。その道の専門家の思考の結晶の数々が、無視され、人々の視界から消えていく社会こそ、反知性社会だ。

はてな村ネタ地区」限定のネットスラング郡が重要視され、文献上の知が軽視されるようになれば、はてな村は反知性主義の一大拠点になるはずだ。

  • 「はてな大喜利」ではしゃぐ低脳は知的メディアにとって癌 はてブコメントしているメンバーを見て合点がいった。

  • http://anond.hatelabo.jp/20080811010142 ところで2ちゃんねるや低脳はてなユーザーはネットに過度な期待を寄せている。端的に言えば、 * 「既存メディア」 vs. 「ネット言論」 という安...

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