あれは身体的暴力は伴わないが、言葉だけではなく視線や溜息や沈黙でさえも被害者を追いつめるもんなの。
人を傷つけるのに腕を振り上げることも汚い言葉を使うことも必要ない。
無視だって立派な暴力になりうる時がある。
わはははは、僕は偉いぞー ^^
僕のかいた増田の内容を踏襲すれば非モテから脱却まちがいなし!!^^
日記なんだから好きにかいていいじゃん!
えっへん^^
俺は別の増田で、身体的な痛みに付随する心の痛みが大したことないとは思わないが、やはり「身体的な痛み>心の痛み」には同意出来ない。
こういうPTSD的反応は、言葉のDVの場合にも出る。例えばDVを受けていた相手がDV行動の前に必ず眉をひそめる、という癖があると、誰であれ眉をひそめられると心臓がバクバクいってモノも言えなくなったり。関係ない人が関係ない人を怒っているのでも、自分が泣き出したり。
なので、このことは身体的なDVの方がダメージが深いという理由にはならない。
でも身体的な暴力と比較するのはちょっとね……それって、単に、殴ってる奴の正当化じゃないの。「殴るのも、酷い言葉言うのも、両方同じくらいひどいんだから、俺は殴ってもいいんだ」っていうさ。そんな正当化をさせないためにも、「言葉の暴力<<<<肉体的な暴力」って格付けしておくべきだと思うけど。「両方同じくらい酷いよ!」なんていってたら、バカDV人間が「そうだそうだ。だから殴ってもいいんだ」って調子こくだけでしょ。
ちょっとここはあんまり意味分からないけど。ただ、そんな頭悪い正当化をするヤツは、逆のことも言うんじゃないか?
「殴るのも、酷い言葉言うのも、両方同じくらいひどいなら、私は酷い言葉言ってもいいんだ」
「そうだそうだ。だから酷い言葉言ってもいいんだ」
ただ、君がそれでもどうしても言葉より身体的暴力の方が酷いというなら、もう反対はしない。でも言葉の暴力もやはりひどい、という場合も多くあることだけは分かってほしかった。
最初のポイントはためぐち。出会って3分でためぐち。こっちはまだ丁寧語でしゃべってるのに、そんなこと気にしない。しかもあだ名までつけてくる。そのあだ名が果てしなく安易。イージーすぎるよそれは、つってもぜんぜん聞かない。そして、立ち位置が近い。パーソナルスペースって知ってる?つか、パーソナルスペースある?ってくらい近い。もう無理、近すぎるよそれ、っていうところからさらに一歩踏み込んだ位置に立つ。もうこうなったら相手の為すがまま。もうどうしようもない。さりげなく距離をとろうとしても、すっと詰めてくる。じゃあ、こっちから距離を詰めたらどうなるんだろうと思ったら相手の思うつぼ。今度はどうもしない。近いというか接触してる。ゼロ距離射撃。そして、こちらが距離を詰めたという既成事実。
不覚にも想像してクソ萌エタ
<利点>
・重いので鈍器としても、座布団としても利用できる
・コミケ本会場でも利用できる
・パソコンを準備する必要が無い
・腕の筋肉が鍛えられる
<欠点>
・超重い
・汗が垂れると途端に読みにくくなる
<利点>
・サークル名がわかっていれば、一瞬で検索できる
・特定のジャンルや作品に絞って検索することも可能
・自動的に一覧が作成されるので、自分でつくる必要が無い
・薄くて目立たないので、処分が楽
<欠点>
・インストールしないと使えないので面倒くさい
・鈍器として使えないので、自分の身が危険にさらされやすくなる
非リア充が一つの集団の中の一人に声をかけて失敗したら
その時点でその集団から「痛い奴」や「空気の読めない奴」として総スカンを食らい、
集団から追放される。
いや、そういう非モテは実際にたくさんいるんだって。
NG出した痛い男に対する女性グループの集団的排斥は傍から見ていても恐ろしい。
俺はこういう見苦しい真似はしてはいけないと思う。
だいたい、恋愛なんて相手がいてこそのものだろ。
(ただし、意中の男以外からのアプローチ全般が迷惑なのか、
でも、自分の人生の目的つうか、目標つうか、色々な柵を考えると、どうにも今の会社だと自由度が狭すぎる。
いや、言い方が悪い。
んで、ひとまず技術屋の自分はフリープログラマという安直な道を選ぼうとしているが、果たしてそれは正解なのか?
基本的には金の事は度外視して生きるんだから、それこそフリーターでも良いんじゃないのかとか考えているけど、そこまで決断できない。
要するに、正社員というのはぬるま湯みたいな物で、浸かっている分には心地よいけどいざ出ようとするにはその一歩を踏み出すのが大変だってこと。
なって良かったか、どうか。
どうすれば良いかは聞かない。聞くだけ無駄だと思うから。
決断するのは自分だから。
過程は要らない。結論だけ欲しい。
それを教えて欲しい。
超ワガママだ、この文章(;´Д`)
辛い時でも 笑ってられる そんなアンタは ホンマにアホや 先の事など 考えないまま ペース配分さえ 出来ないで走る 悲しい時こそ おどけてばかり そんなアンタは やっぱりアホや 惚れてふられて また繰り返す 学ばないまま 明日を迎える だけどそんなアンタを アンタを見てると なぜか優しい風が吹き抜けてゆく 湿った心は笑いで乾く 笑顔のまんま(笑顔のまんま) 笑顔のまんま(笑顔のまんま) そんな人生 生きてるだけで丸儲け 笑顔のまんま(笑顔のまんま) 笑顔のまんま(笑顔のまんま) そうさTHAT WAS THAT あの時はあの時さ 笑顔のまんま(笑顔のまんま) 笑顔のまんま(笑顔のまんま) そうさ人生 生きてるだけで丸儲け 笑顔のまんま(笑顔のまんま) 笑顔のまんま(笑顔のまんま) そうさTHAT WAS THAT あの時はあの時さ 僕が笑い(僕が笑い) 君にあげるから(君にあげるから) 君の笑顔を僕にください
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from FNS27時間テレビ
いやいや、身体的な暴力は寧ろ心の痛みの方が大きいくらいなんだよ。一般的に。
刺されたり、殺されるほど殴られたりしたら、その殴られた痛み、刺された痛みもものすごいけど、同時にそれ以降「刺したもの」を見るだけで震え上がったり、DV夫がちょっと腕を挙げるだけで悲鳴を上げて身をかばったり、そういう話聞いたことないん?これらを聞いてもまだ身体的な痛みに付随する心の痛みなんてたいしたことねー!っていえるかぁ?
言葉なんて本当たかが言葉じゃん。いや、確かに酷い言葉は酷いよ?それは再三言ってるけど。
でも身体的な暴力と比較するのはちょっとね……それって、単に、殴ってる奴の正当化じゃないの。「殴るのも、酷い言葉言うのも、両方同じくらいひどいんだから、俺は殴ってもいいんだ」っていうさ。そんな正当化をさせないためにも、「言葉の暴力<<<<肉体的な暴力」って格付けしておくべきだと思うけど。「両方同じくらい酷いよ!」なんていってたら、バカDV人間が「そうだそうだ。だから殴ってもいいんだ」って調子こくだけでしょ。