http://anond.hatelabo.jp/20080622144306
ネットのない時代には、自分とはかけ離れた(ように思われる)スタイルで生きている人の存在が、自分のリアルな生活環境の周りではほとんど見えなかったという要因はあるよね。
学校にせよ仕事場(バイト含む)にせよ、自分とだいたい似たような人間が集まってくる。たまに自分と全然違う人が通り過ぎても、それは一過性のイベント的なものであって、ずっと自分の目の前に居続けるわけじゃない。
でも、ネット上では自分とは違う人間がたくさんいて、その人たちの生活スタイルが、けっこうあからさまに目の前に見せつけられたりする。それもかなり大量に。
そうやって自分の生活には無い世界を継続的に見せられ続けると、次第に
「あれ、俺の人生って、これで本当によかったのかな?」
って思ってしまう。
もしかしたら、俺にだってid:○○さんやid:△△さんみたいな人生を送れる可能性があったんじゃないか。
id:◇◇さんやアルファブロガーの□□さんのような人生の楽しみを謳歌できる可能性だってあったんじゃないか。
アイマスMADの◆◆Pやゲームデザイナーの◎◎さんのように皆から賞賛される可能性だってあったんじゃないか。
そんな自分自身の「失われた可能性」を、ついつい思ってしまうわけだ。
あるはずのないParadise Lostが、もしかしたら自分にだってあり得たんじゃないか、ってね。
だって、ネットの彼方に目をやれば、実際にそういう人生を送っている人たちの言葉が、目の前にどんどんあふれ出しているんだから。
一番身近で大切なのは、レールを外れても現実には色んな道があるよ、大丈夫だよ、と励ましてくれる親とか身内の存在だろうけど。
確かにそうなんだけど、「色んな道」がネット上のいろんな人の「成功譚」(あくまでも自分と比較した場合)としてしか受容されず、それ以外の可能性がかえって目に入らずに劣等感ばかりがどんどん募っていくということも、案外多いんじゃないかと思う。
もう誰かが書いてるかもしんないけど、自分用のメモ。 最近、格差格差と言われているが、そんなの昔の方がよっぽど酷かったんじゃないかと思う。 偏差値競争ももっと酷かったし、...
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「努力のモチベーションを与えつつ努力に失敗した時の安心感も与えるような言葉」ってのを考えておこうと思ってる。 「一ヶ月に1万円多くもらえたらうれしいだろ?そのために勉強...