あなたは自分のことを非人間的と言っているけれど、あなたのような葛藤を抱えているからこそ人間的とも言えるのでは?少なくとも、「周囲の人間の人生や恋愛に気を配り、その悩みに答えようとすることが人間的である証」とするよりは幾分説得力があるように思う。
そもそも
ことが、本当にその人間の誠実さや寛大さ・優しさ・人間らしさの現れかどうかなのかも分からない。
文から察するに、あなたは自他共に認める「憂われるべき状況」にあるようだけれど、あなたの知人がそれを共有しようとしてくれるからといって、それが純粋な優しさ(っていうのも曖昧な表現だけれど)etc... の、あなたが重視する人間らしさの要素に裏打ちされたものとは限らない。例えば、それを自覚しているかどうかはともかくとして、自分よりうまく行っていない人間を見て安堵したいという気持ちから来ている行動だったら?或いは、そうやって他人に手を差し伸べ、必要とされることで自分を保つ、不健全な心の営みから来るものだったら?他人の心なんて私たちには分かりっこないのだから(自分のですら危うい)、少々決め付けすぎてはいないだろうか?
だからと言って他人は信用ならないだとか、本音と建前を使い分けるのがベターだとか、そういうことが言いたいんじゃない。
私たちが生きる社会は、どうやっても他人と関わらざるを得ない仕組みになっているし、私たちという人間もまたその確立のために、自分ではない他人との摩擦を必要としている。だから冒頭にも書いたように、あなたの感じているこういった葛藤こそが私には人間らしい営みに思えるのだ。
そんなにも人間らしいあなたが、自分をそこまで卑下することはないし(反省する点はあるのかもしれないけれど)、知人に対して後ろめたさを感じることもないと思う。まずは、自分と他人を同じラインに並べること。話はそれからじゃないかな。
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http://anond.hatelabo.jp/20071228025433 なんでお前みたいなのに話しかけるのに寂しがりの俺には誰も話しかけてくれないんだ
http://anond.hatelabo.jp/20071228025433 ・・・ていうのがボクの誠実な感想