特に理由はないんだが、親が怖い。
別に嫌いではない、虐待をされてきたわけでもない。
ただ、親の前だと委縮してしまうし、あった後はひどい疲労感で何もできなくなる。
三年前、数年ぶりに親にあった翌日から1月引き籠った。
ようやく回復して仕事を新しく見つけたころに現状を聞きつけて様子を見に来た親に会った。
そのまま会社を辞めた。
親のことは好きだし、感謝もしている。
ただ、生活のためには忘却して過ごすのが一番だと感じている。なんなんだろう、この漠とした恐怖感は
自分はすごくhashigotanが気になるんで、気が付いたらhashigotanのことを考えてる。
今ふと思ったのだけど、hashigotanのやり方って、日本に対する韓国(または中国)のやり方に似てないだろうか。
自分はあくまで被害者であるという立場だけに居座って、加害者に対して非難や恨み言を好きなだけ言い募る。
(被害者=弱者=不幸な人間、加害者=強者=幸福な人間と読んで下さい)
ちょっと乱暴な例えかも知れないけれど(必ずしも例えとして成功してるとは言えないだろう)、この例えを出して何が言いたいのかと言えば、
そのやり方は度が過ぎると反感を買ったり、嘲られたりするだけだということ。
だからと言って粛々としていろ、と言うんじゃなくて、その戦略を取り続けるのは、ただいたずらに自分を傷つけるだけなんじゃないだろうか。
hashigotanの書く言葉は真実の叫びだし、hashigotanのような人が発言することは大事なことだと思う。
ただ、もう少し上手いやり方で勝ちにいけないものだろうか。
あなたが美しく勝利するところを、自分は見たいと思っている。
単にノリがいいだけ。
本能的なもの、生存競争にかかわるものから乖離してしまっている
だからそうおまえ、それはおまえそんなにおまえガッカリしてんなよおまえ。
あー。甘い。いや、見落としがちではあるんでが、
三次元に逃避したことに対する非難って言ってあげないと
久しぶり従兄増田、と言いたいところだけど、今は出てくるの止めたほうがいいよ。