インターネットは村化を促進させるのだろうか?インターネットのなにが村化を促進するのだろうか?
Hatenaは"はてな村"と称されるように村化が進んだコミュニティであるが、何故Hatenaは強く村化したのだろうか。
はてな界隈で腐るほど同じ内容が出ているのはわかっているが、暇なので考える。
はてなは他のブログサービス会社と違い純化した村を体現している。
最近では、はてなである程度話題になったものが2ちゃんねるで話題になるなど、スピンオフも増えてはいる。それが村化を促進するのか、それとも村化を食い止めることになるのか。
話題がスピンオフされた結果、また違う領域が村の範囲になるだけなのか。
それとも影響の対象が増える分だけ、村は国に近くなっていくのか。
今後Hatenaがどうなっていくのかはこれらの要因に強く起因するだろう。そしてこれからの対策はこの流れにどのような一石を投じることになるのか見物である。
Hatenaから離れたコミュニティ、即ち村社会独特のネットイナゴを生み出さないような開かれたコミュニティは出来るのかを考えていたら、何故Hatenaはこのような独特なコミュニティを形成しているのかを思考してしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20070615130235
はてな村とは、はてな固有の話題で統治されている部分のことをはてな村というのではないだろうか。独自のコミュニティ、つまり内輪のコミュニティ内の出来事が"村"と揶揄されているように思う。
例としてMarco11の周辺など。うーん、上手く言葉がまとまらないな。普通はどうでもいい話題を村の一大事として扱う辺りが村っぽさの一部分。
我が村の事だから話題になる。実際はHatenaの中でも一部ユーザが村を形成しているに過ぎないのだが、Hatena固有の話題であるからして、村から外にいる者の視点で眺めると、それがHatenaの固有さを際立たせる。
それが村っぽさなのだろうか。
さらに離れて、題名に一戻りして、Hatenaのような村が逆にインターネットを使ってグローバルな存在になっていくとしたら、その時グローバリゼーションは村化を意味するのかを考察したい。
単に道具として使っている人と、コミュとして使っている人では違うんじゃないかな。 村でいいじゃん。
はてな村って、どの辺のことを指してるの? 自分もはてなユーザーだけど、 コミュニティに参加している気が全然してないんだけど。