ファックコミュニケーションでは一転して、罵倒が親しみの挨拶として両者に認識されている。それを見て不快感や疎外感を覚える人はいるのだろう。どちらか一方と交流があれば尚更だ。しかしこうしたことはあらゆる人間関係で起こりうる。すべての人とまったく同じように接することは難しい以上、どういうスタンスでコミュニケーションを取れるか/取りたいかが、相手によって違ってくるのはやむを得ない。
ファックコミュニケーションでのやりとりは、自分が蚊帳の外にいながらも強烈な不快感を覚えて観察していた。良くあんな状態で誰も不快感を口にしないよなあ、と思っていた。
所謂罵倒芸と呼ばれるものも同様で、言われた側がどんなふうに感じているかとかは部外者には全然わからない。わかりようもない。観察している人間が「それは罵倒」「それはクネクネ」と分けられる類のもんじゃないだろう。
『罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題』であるにも関わらず大野氏の言説に同意している-引用部にのみ同意しているのかもしれないが-id:kanose((idは敬称))の態度は理解出来ない。
罵倒をするのも罵倒を諫めるのも、罵倒芸を楽しむのも自分にとっては変わりはない。
id:Marco11の罵倒芸は見ていて腹立たしいし不快極まりないものがあるが、ファックコミュニケーションでワイワイキャッキャやって他の人間が不快になっていないとでも本気で思っているのなら頭がどうかしているとしか思えない。「内輪で楽しんでいるんだから構わない」という態度を示すのなら、罵倒芸を仕掛けられている側に楽しめているかどうかを確認する必要があるし、確認もしない儘に自分勝手な価値観で「これは罵倒だからダメ」「これはクネクネだからオッケー」などとレッテル貼りをして回る行為こそ断罪されるべきであろう。
気づいてないかもしれないが、今書いたそれだってマルコの話題じゃないか。
増田は何でそれを書いたんだ?書かなきゃいけなかったのか?おそらくわけもわからずただ書いたんだと思う。他の増田だってそうだ。わけもわからずマルコの話題の日記を書いてしまう、そういう呪いなんだよ。
先週のためしてガッテンを見る。
分別癖をつける、節約癖をつける…
の話はどーにもガッテンできない内容だったけど
待機電力はなんとかしないとねえ…という話に。
主電源を切る生活をしていた自分にとってはほんのちょっぴりもにょっていたので切ろうよ、と言ってみた。
…切らない理由を延々と述べられた。
要約するとめんどい。
じゃあ、ルータの常時つけっぱなしやめたり、パソコンの電源はスイッチ付きコンセントにしようぜ!と言ってみた。
またも延々と。
あー。わかったわかった。面倒なんだね、すごく嫌なんだね。
ああ、もにょる。もういいよ。説得するのが面倒になってきたよ。
ほんとに変化させるのが嫌な人なんだなあ…
そういえば、料理も自分があまりしたことない食べ方だと嫌がるなあ…
歳かな。
その喩え、イメージがうかばない。
右から左へ受け流したから。
はてなのオフィスにある小さな穴を抜けると、Marco11の脳内に行けるらしいよ。Marco11体験ツアーお一人様3万円。
「一人で」とは書いてないしねぇ。
「ウィニーですよ、ウィニー!! ここ数年話題のアレ! 機密情報が漏洩したり、触ったら病気になるヤツ(違う)!!」
このへんの昭和集漂うセンスが好きだ。
好きだった作品が有名になると、何が嫌かって、そのファンがある特定の目で見られやすくなるからだ。作品は何も変わっちゃいないのに、ファンがたくさんつけば昔からのファンだろうが最近のファンだろうがなんだろうが一括して「厨」「ニワカ」「ミーハー」「分かってない奴ら」みたいになる。他人の事とは言え、「○○のファン?プ。ニワカかw」的に言われると、やはりちょっと嫌な気持ちになる。思わず「いや、俺は前から好きだったから、べつに流行ったから飛びついたとかじゃなくタダ単に好きなだけで」といいたくなる。が、それは「他とは違う俺」ワードとして中二病判定されてしまう(そういうつもりじゃないのだが……)からうかつに言えない。でなんかこう、チェッ、なんだかな、って気持ちになる。別に悩むほどじゃーないし、他人をそこまで気にしているわけじゃないが、しかし全く他人を気にせずいられる人間などまたいないのも事実。結局有名になる前よりはその分だけ嫌な気持ちになったりするのだ。だから嫌なのだ。○○がただ好きだっただけなのに、有名になり広まることで、世間的に色々なレッテルを貼られてしまい、「○○が好き」と表明する事は、(少し大袈裟かもしれないが)別の意味を背負う事となってしまうのだ。好きな音楽を言って、「あーそっち系の人なんだ?」と思われるような、そんな感じだ。「いえ、そっち系とかじゃなくただそれが好きなだけなんです」と言っても、その歌がそういうレッテルを貼られてしまってる以上、周りがそう受けとってしまう。これを偏見とか言うのかもしれないが、それはともかくとして、実際問題そうなってしまう上、皆が結構その事に自覚的でなく、いや、寧ろ積極的にレッテル貼りをして楽しんでる所すらあるので、「いえ、ただ、○○が好きなだけです」は通用しなくなってしまうのだ。それが悲しいのだ。皆が知らなければ知らないほど、それは通用するのだが、知られれば知られるほど、「ああ、そういう人ね」と背負うつもりもなかったレッテルを背負わなくてはならなくなる(大袈裟なのは承知の上で言ってます)。いや、俺は、ただあれが好きなだけだったのに……。また、有名になれば変な評論家が的外れたよくわからん解説をうって、変に社会論と絡めたりして更にそのレッテルは深まっていく。
だから有名になった好きな作品は好きといいづらくなる。俺がどれだけただ好きなだけですと思おうが、他人はそうは思わないのだから。「別に俺は他人になんと思われたっていいんだぜ!」だなんてほどワイルドにはなれん。大体、「○○を好きだといったということは、そういうレッテルで俺はお前を見るけど、当然そう思われるなんてことはお前は分かってるんだろうから、つまり、意識的に俺はそういう人間だという意思表明なんだな?」ととられたっておかしくはないのだ。流石にそこまで誤解されると嫌だ。そもそも他人に誤解されるというのはなんだかんだ、結構嫌なもんだ。他人にどう思われても平気なんてのはある意味無防備極まりないので、どう思われても構わない性格になりたいとはあまり思わない。ある程度その辺に意識的でないと、うまくやっていけないしな……
何にせよ、そういうちょっとした小骨程度の弊害ではあるが、確実にそれは来るから、俺は好きな作品が有名になるのは嫌なのだ。
何故か「西」が思い浮かぶ。
駅名しかり、人名しかり、地名しかり。
ただし、方角で言う「西」に特に愛着があるわけではない。
むしろ「西」という響きにあまりいい印象がない。
自身が「西」の人間だから、本当のところは故郷という意味で、それなりに持ってもいいはずの気持ちは「東」で5,6年過ごした想い出に取って代わってしまった。
「東」は良い。
血液型がA型でもないので、偉そうなことは言えないが「東」の秩序の良さは目を見張るべきものがある。
それに比べて、「西」の秩序の無さは「西」で生まれ育ったわたくしにとってさえ、苦痛に覚える。
苦痛になる理由は色々あるとは思うが、生まれ育ったとはいえ、「西」での生活は、主に学生時代のものであったことが大きな理由だと考える。
言い換えると、「東」で仕事を始めてから、「東」なりの仕事の進め方、人との付き合い方が染みついてしまったためともいえる。
くどく言い換えると、学生時代までなんて、どこで育とうが日本にいる限りは、それなりの教育を受け、それなりの知識を身につけることが可能であったということである。
しかし、実際に社会に出てみると、学生時代までの過ごし方は当てはまるわけもなく、それまで染みついたのんでんくらりとした生活から一変してしまうことのパラダイムシフトを楽しむ社会人生活一年生が始まるわけである。
だからわたくしは、「西」での社会人生活を始めることは当初から考えていなかった。
『絶対「西」以外で働く』
幸か不幸か、わたくしの思惑通りに「東」で働く機会を得、揚々とした気持ちで社会人生活をスタートさせたわけである。
ただ、社会人生活も3年経つと文殊の知恵とはよく言われないことで、刺激も少なくなってきて、日々の業務にもマンネリを覚える時期になってしまった。
マンネリを覚えることは、わたくしの仕事に対する意識が低いという自分なりの分析もあり、自業自得だということも承知である。
会社のハグルマとして生きることを嫌っていた入社当時の感覚は薄れ、人生の目標を見失うには十分な無気力さと持っていたことは自信を持って言える。もちろん、こんな自信ではなく、代わりに、生きる自信、働く自信を持てたらどれだけ良かったのだろうとも今となっては思う。
ただ、「東」での生活にはおおむね満足していた。
休みの日に一人で過ごす場所には困らなかったし、仕事が終わった後に遊びに行く場所にも困らなかった。それに付き合ってくれる友人、ないしは、パートナーにもそれなりに恵まれていたと思う。
唯一「東」に難点を述べるとすれば、住居価格の高さである。
ただ、住めば都とはよくいったもので、狭い住居での生活は不必要な物品も増えず、2回ほど行った引っ越しの際もほとんど苦労することはなかった。
そんな「東」大好き人間にも何かしらの変化が欲しかったのだろう。
ふと、転勤を申し出た。
よりによって「西」に申し出た。
申し入れは思った以上にすんなりと通り、「西」に引っ越すことになった。
もちろん職場も「西」になり、業務内容も180度以上変更になった。
「西」への思惑は、新たな業務に対して自身にパラダイムシフトが起こることを期待したこともあるが、ぶっちゃけ転勤手当である。
会社にも依るが、「東」で新卒入社すると、どこの出身であろうと手当なんかは出ない。
ならば、一度転勤でもしてみて、気分一新、人生の目標が見つかれば、生きる自信が生まれればと思ったのは表面上で、裏は手当である。
会社の手当なんかをアテにしているわたくしは、会社的に腐ったハグルマに見えるのだろう。
さて、意気揚々と「西」での手当生活を始めたわたくしであったが、思わぬところで躓くことになった。「西」での仕事環境や、人付き合いがどうしてもなじめないことに気がついたのである。
このことにより、腐ったハグルマは、より腐ることになるのである。
ただ、腐ったハグルマは、腐っているなりに「西」での生活になじもうと努力をしてきたつもりであった。しかし、色々なものがハグルマを蝕んでいき、努力が実ることは無かった。
腐ったわたくしにも転機が訪れる。
「東」の人からのお誘いである。
詐欺にならない程度に最大限誇張するとヘッドハンティングとでもいうのであろうか。
単純で腐ったハグルマは俄然短期的な意欲が湧いてきたようで、仕事も生活も、「東」への帰還というテーマを中心に回すようになった。
しかし、ハグルマであるわたくしは、そんな邪なテーマで人生のモチベーションを保つことなど出来るはずもなく、お誘いの件もトーンダウンしてきてしまった今日この頃である。
「西」の夏は暑くて蒸して嫌いだ。
邪なテーマが滞りなく進んでいれば、「東」での夏が待っていたのであるが、そんな淡い希望は消え去って、「西」での夏を堪え忍ぶ日々が待っている。
次の「東」への切符は、秋だ。
邪で腐ったハグルマはそれでも回り続ける。
「気に食わない」という動機に発したクレーム
ぬるいカレーが出てきたカレーチェーン店にクレーム入れたら、店長が電話で謝りたいらしいから電話番号教えろというメールがかえってきた。
電話で時間取られるなんてあほらしいし、口頭じゃイヤだと返事をしたら返事が返ってこなかった。
それ以降、行ってないよココイチ。
タブクリアじゃあないかと思うんだ
謝らないで、拳で殴っちゃダメなの?