てめぇにゃきいてねぇよ馬鹿は黙ってろ
「高見から見下ろしながら」とか「高見の見物決め込む」なんて書いてあるけど、じゃあ炎上したって怖く無いだろ。良いじゃん、炎上したって。炎上させてみろよ、見に行ってやるから。
「その界隈から姿が消えるまで叩きにかかるだろう」
これはねー、そうでもないよ。たまに思い出されて「ああーいたねそんな馬鹿」ってpgrされたりとか。つーか、貴方は自分が思ってるよりは大した事なくって、とっくに忘れ去られてるかもしれんよ。まとめサイトとか出来てるレベルなら覚えてる人多いかもね。
ま、やってみればいいじゃん。
危険でも良いけど、筋は通せ。へなへなするな。あと、犯罪は良くない。それだけ。
「叩かれて一人前」と言う文句は正しい。
なぜなら叩かれないと判らない、運営上のノウハウがあるから。これは経験すると良くわかる。
それを踏まえて、あなたはまだ一人前になれて居るとは思えない。
叩かれて一人前と言うのは、叩かれて反省して一人前と言うのとちょっと近い。
すべてのいざこざは比率の差はあれど、必ず双方が悪い。
その双方を正しく認識するスキルが、叩かれる過程で培われると思っている。
だから、「高見から見下ろしながら。荒らしの一匹や2匹はどうってことないさ。」とか
「それをどこまでかわせるか?」なんて書いている状態では、
叩かれたのではなく、叩かれて逃げ出したレベルを脱しているとは思えない。
私が書きたい事は危険過ぎる。
受けるサイト・ブログと言うものは、得てして過激だったり、特徴的だったりするものだ。
だが、それでも叩かせない、叩かれても炎上に至らないサイトはいくらでもある。
それらのサイトとあなたの現状がそのままあなたのセリフの稚拙さの現れです。
炎上必至やむなしですね、なぜならこの危険でも過激でもないエントリですら、炎上させないで書くスキルがないのだから。
フラット化を否定する人は多いが、提唱している人の定義どおりに理解されているとはいえない。ただただ自分の意見こそが広く受け入れられるべきだ、と言いたいがためにフラット化を否定する厨房。
まあなんというか共有することの意義について、随分違いがあるなあとは思うけど、定義ぐらいは共有しないと。
思いのほかみんな真面目じゃねーか。
おいちゃん感動したぞ。
自分好みの文章がいくつかあったのを見て思ったんだけど、ここに投げ銭機能つけたらいいと思わない?
システム的に難しいのかとかは知らないけど。
恵比寿まで2時間で不参加だった者です。
オフレポありがとうございます。(いや、みんなに向けてのレポだと思うけど)
8人とはまた無難な人数だなぁそれ以下じゃちょっと寂しいしそれ以上じゃ行動しづらそうだし。
この位の告知が丁度良いって事なんだろうか…もっかいやると敷居が下がって人大杉になりそうな…
色々楽しかったようで何よりです。
ホントなら2時間かかろうが楽しきゃ参加したいんじゃーっ
モテ・スケール(以下MS、10段階で表す)というものがあると仮定してみよう。
MS10の男がMS9の女とつきあうとか、
MS8の女がMS6の男とつきあうとか、
よくある話ですよ。
要するに、人間全く同スケールの相手とつきあうのが決まりってわけじゃなく、
多少MSに差があるカップルなんていくらでもいるわけね。
それがだ。
MS3のやつらって、MS2やMS1の相手とか論外って感じなのが不思議だ。
なんだあれ? 別に自分のスケールを勘違いしているわけでもなさそうだが。
自分よりMSがちょっとでも下がる相手は嫌か!?
そのくせMS5以上の人間はMS3の気持ちなんてわかるわけないとか、
MS3はどうがんばってもMS3なんだよわかったような口きくんじゃねえとか、
ほんとうにあたまがわるくてきもちがわるい。
炎上必死。
↑なんでここ引用したか、わかります?
あなたの書いたこのエントリだけ拝見した限りにおいては、あなたは粗忽でデリカシーがなさそう。駆逐されて嫌な思いをしても、なんら学ぶところはなかったのでしょうか。他人を不愉快にして自分の溜飲を下げるためのブログなんて、再開しなくていいです。
http://anond.hatelabo.jp/20070401163550
女であってもいいし、男であってもいい
若くてもいいし、年寄りでもいい
まったくの他人でもいいし、家族でもいい
「自分が好きな人」ではなく
「自分を好きになってくれる人」を救え
ロマンを捨てるんだ
自分への興味をいったん凍結する
幸せな結末へのあこがれとか理想を持つのをやめてみる
俺たちは廃墟に立っている
生きていくだけで精一杯のはずだ
集団の中で同じく孤立し、廃墟に立っているものが誰なのかはわかるはずだ
そいつらが倒れてしまわないようにすること
「自分に何が与えられるのか」ではなく、「自分が何を与えられるのか」を行動の指針とせよ
感情受信装置じゃなくて、他人を気遣う装置になれ
戦士としての使命を自分に与えろ
自分の感情や安全に気をまわしすぎるのをやめろ
もしもおまえが「完全な他人を気遣う装置」になって、
かつ「誰にも必要とされていない」ようであるなら、
それはそれでハッピーエンドとするべきじゃないか
先に立ち寄った村で山の向こうにある変わった村の話を聞いたのでそこへ向かっている。村から村へと諸国の珍しいことを語り、日銭を稼いで旅をしているが、これはそのためだけではなく、情報を集めるためでもある。私は元来、珍しいことが好きだ。だから、最初は珍しい村から村へと行き歩いていたのだが、途中で銭が尽きたので、半ば自棄になり、語り部の真似事をしてみた。すると、存外好評で、僅かではあるが銭を稼ぐことができた。それからは、語り部の真似事をしながら旅をしているのだが、やはり本来の目的から言えば、銭のためというよりも珍しい村の情報のためと言えるだろう。
そして今向かっている村はその情報によって知ったのだがどうも釈然としない。ある人は破廉恥な村だと言い、ある人は高尚な村だと言う。またある人は人間の原始の村であると言い、またある人は人間の最後の村であると言う。いろいろと珍しい村の話を見聞きしてきたが、ここまでばらばらな、想像のつかない村も珍しい。一体どんな村なのだろう。情報は必ずしも真実とは限らず、騙されることも多々あったが、今回はどうも当たりの臭いがする。しかし、どのような村かは想像もつかない。私は、はやる気持ちを抑えようとしてみたが、やはり足取りは軽く、予定よりも早く、昼前には村に着いた。
村の人に挨拶を交わし、長老に面会させてもらった。見るからに好々爺な長老は二つ返事で滞在の許可をくれ、わからないことがあればいつでも聞きにきなさいと言ってくれた。私は、足を休めるために、農作業をする村人を見ながら木陰で休憩することにした。一見変わったことは何もない。村人は皆真面目に農作業をしているし、奇矯な髪型や服装もしていない。何か怪しげなものを崇めている様子もないし、家々もごく普通のそれだ。と、眺めていると、村の子達が物珍しそうに陰からこちらを見ていた。「怪しい者ではないよ、ただの旅人だ。」と告げると、まだ警戒心は解いてはいなかったが、徐々に近寄ってき、そして挨拶を交わした。
強いて言えば、子供が少ないだろうか。2、30人は村人がいるのに、子供を見たのはこれが初めてだ。それにその子供といえど、3人しかいない。「他に子供はいないのかい?」と尋ねると「そうだよ。僕たちだけ。」と一番大きな子が答え「そして多分最後だよ。」と、どこか自慢気に答えた。「最後?最後とは何のことだい?」と尋ねると「最後は最後だよ。そして完成なんだ。」とまたもや自慢気に答えた。「完成?完成とは何のことだい?」と尋ねると「完成は完成だよ。そして最後なんだ。」と堂々巡りに陥ってしまった。子供たちは噛み合わぬ会話に飽きたのか、溜息を吐いてどこかへと行ってしまった。最後とは何だろう。完成とは何だろう。
何でも聞きにきなさいという長老の言葉を思い出したので、長老の家に行き、先ほどのことを尋ねてみた。少ない子供。そしてその子供が言った最後、完成について。長老は今の時間ならば見る方が早いと、私を外に、村の中央にある一段高くなっている空き地に連れてこられた。先ほどは気づかなかったが、村はこの丘のような場所を空けて、ぐるりと輪のように家をなしていた。しばらくして夕日が見え始めると、村人は農作業を終え帰ってきた。そして村人全員が、先ほどの子供も入れた老若男女2、30名が村の中央にある丘の上に集まり、輪を組むように並び出した。「何が始まるのですか?」と尋ねると「まあ見ておればわかりますよ。」と言うと長老はおもむろに衣服を抜いた。「な、何を―」と問う声は途中で止まった。周りを見渡すと、村人は皆、長老のように衣服を脱いでいたからだ。声をなくした私に裸の長老は「まあ見ておりなされ。」と言うと「それでは始め。」と村人に掛け声をかけた。すると、村人は一斉に己の胸や股間を弄りだし、喘ぎ声を上げ始めた。老若男女、輪になり裸になった2、30人が一斉に。前を見ると淫靡な手つきで自慰に耽る村人が。横や後ろからは淫靡な声が。どこを見ても、どこにいても、淫靡な光景、淫靡なざわめきが四方八方に見えるし、聞こえる。そんな異空間の取り残された私は、ただただ呆然とするのみであった。
呆然としているといつの間にか終わったらしく、皆が服を着る音で我を取り戻した。そして長老に、また家に連れられてきた私は尋ねた。「先ほどのは一体何なのですか?」長老は答えた。「あれが我が村の仕来り。いや、伝統。いや、理念。いや、理由なのかのう。」「なぜ、あのような行いを?」「完成するためですな。」また完成だ。「完成とは何ですか?」「性欲のために体を求め子を作る。これは動物と同じではないのかの。」「はあ。」「だからわし達は人間としての完成と求めて、自分らだけで足りることを求めて集った。それがこの村の始めなんじゃ。」「それでは何故あのような行為を?」「性欲は放っておいても沸いてくる。だから発散させてしまうのがよかろう。自分で発散すれば自分で足りるということでもあるしの。」「それでは性交は―」「しない。」「それならばあの子らは?」「あれは一人で足りることができなかった者達が残したもの。もっとも、先祖よりそうして残された者がわし達なんだがの。」「すると完成というのは。」「情欲に負けて子を成す者がいなくなることだな。」「最後というのは。」「あの子らが情欲に負けず人間であり続ければ最後の村人となり、そして完成するということじゃ。何代も続いてきたこの村の理念が。続けてきた先祖が。そして最も人間らしくあった一つの村が。」
その後いつものように諸国のことを語る気乗りがしなかったので、早々と立ち去ることにした。そして次の村へ向かいながら、長老の言っていたこと、子供たちの言っていたことについて考えていた。村は特別な強制はしていないようで、子を作りたいようになったら村から出ることができるらしい。しかし、出る者は少なく、出ても子供は置いていくものが多い。そのせいもあって、子を成したものは(村に居続けることも勿論可能で村八分などはないようだ)、一段立場が低い。いや、正確に言うならば、子を為さないものが一段高いのだろう。情欲に負けず人間らしいものに尊敬は与えられるらしい。だから、子供たちは自分が最後になると自慢気に語っていたのだろう。
だが、それは人間らしいのだろうか。いや、動物でないことを人間らしいと言うならば確かにそうなのだろう。しかし、私は人間は動物だと思っている。だから、彼らのような考えはどうしても受け入れることができない。自然ではないし、作為的で嫌な感じがする。でも、彼らからしたらそれが人間らしい、素晴らしいとされることなのだろう。
やはり私は受け入れることができないが。私以外の人はどうか分からない。だから、私は語るだけ。村々へと歩き渡り、村々のことを語るだけ。そこから先は聞いた人に任せよう。私は受け入れることはできなかったが、最も人間らしくあろうとする彼らに経緯敬意を払い、彼らのことを語ることにしよう。いつまでも、どこまでも。
http://anond.hatelabo.jp/20070401212355
〜ですが、の連発で一文がめちゃめちゃ長くなる人とかさ、ですます調とである調が混ざってる人とか、
自分で読み返してなんか変だなって思わないの?それともそもそも読み返さないの?
過去日記を閉鎖して一年が立つ。ブログをまた作りたいが、私が書きたい事は危険過ぎる。
炎上必死。
それでも叫びたい。怒号の飛び交うコメント欄を、高見から見下ろしながら。荒らしの一匹や2匹はどうってことないさ。
しかし、過去に個人情報が流出した彼らに、その界隈に別ハンで登場してもまた、文章の癖から私とばれるだろう。彼らの追跡はしつこい。その界隈から姿が消えるまで叩きにかかるだろう。それをどこまでかわせるか?
彼らは悪口で集まった集団。数は多いが、烏合の衆。仲良さそうにしてても、陰では罵りあっている。内ゲバの仲間割れほど醜い物はない。私はそれを高見の見物決め込む。勝手にしやがれ。
もしも、彼らのブログにコメント付けたなら、ここぞとばかりにいっせいに恨みの炎を燃やして叩きにかかるだろう。その追跡をどこまでかわせるか?
ところでコテハンは叩きに遭ってから一人前というが本当か?
コテハン叩きにも会わない人も多くいるだろうけど、その人のアドバイスは所詮他人事なのだ。実際に叩かれた事のある人の話は温かい。