2007-04-01

ある村の話

先に立ち寄った村で山の向こうにある変わった村の話を聞いたのでそこへ向かっている。村から村へと諸国の珍しいことを語り、日銭を稼いで旅をしているが、これはそのためだけではなく、情報を集めるためでもある。私は元来、珍しいことが好きだ。だから、最初は珍しい村から村へと行き歩いていたのだが、途中で銭が尽きたので、半ば自棄になり、語り部の真似事をしてみた。すると、存外好評で、僅かではあるが銭を稼ぐことができた。それからは、語り部の真似事をしながら旅をしているのだが、やはり本来の目的から言えば、銭のためというよりも珍しい村の情報のためと言えるだろう。

そして今向かっている村はその情報によって知ったのだがどうも釈然としない。ある人は破廉恥な村だと言い、ある人は高尚な村だと言う。またある人は人間の原始の村であると言い、またある人は人間の最後の村であると言う。いろいろと珍しい村の話を見聞きしてきたが、ここまでばらばらな、想像のつかない村も珍しい。一体どんな村なのだろう。情報は必ずしも真実とは限らず、騙されることも多々あったが、今回はどうも当たりの臭いがする。しかし、どのような村かは想像もつかない。私は、はやる気持ちを抑えようとしてみたが、やはり足取りは軽く、予定よりも早く、昼前には村に着いた。

村の人に挨拶を交わし、長老に面会させてもらった。見るからに好々爺な長老は二つ返事で滞在の許可をくれ、わからないことがあればいつでも聞きにきなさいと言ってくれた。私は、足を休めるために、農作業をする村人を見ながら木陰で休憩することにした。一見変わったことは何もない。村人は皆真面目に農作業をしているし、奇矯な髪型や服装もしていない。何か怪しげなものを崇めている様子もないし、家々もごく普通のそれだ。と、眺めていると、村の子達が物珍しそうに陰からこちらを見ていた。「怪しい者ではないよ、ただの旅人だ。」と告げると、まだ警戒心は解いてはいなかったが、徐々に近寄ってき、そして挨拶を交わした。

強いて言えば、子供が少ないだろうか。2、30人は村人がいるのに、子供を見たのはこれが初めてだ。それにその子供といえど、3人しかいない。「他に子供はいないのかい?」と尋ねると「そうだよ。僕たちだけ。」と一番大きな子が答え「そして多分最後だよ。」と、どこか自慢気に答えた。「最後?最後とは何のことだい?」と尋ねると「最後は最後だよ。そして完成なんだ。」とまたもや自慢気に答えた。「完成?完成とは何のことだい?」と尋ねると「完成は完成だよ。そして最後なんだ。」と堂々巡りに陥ってしまった。子供たちは噛み合わぬ会話に飽きたのか、溜息を吐いてどこかへと行ってしまった。最後とは何だろう。完成とは何だろう。

何でも聞きにきなさいという長老言葉を思い出したので、長老の家に行き、先ほどのことを尋ねてみた。少ない子供。そしてその子供が言った最後、完成について。長老は今の時間ならば見る方が早いと、私を外に、村の中央にある一段高くなっている空き地に連れてこられた。先ほどは気づかなかったが、村はこの丘のような場所を空けて、ぐるりと輪のように家をなしていた。しばらくして夕日が見え始めると、村人は農作業を終え帰ってきた。そして村人全員が、先ほどの子供も入れた老若男女2、30名が村の中央にある丘の上に集まり、輪を組むように並び出した。「何が始まるのですか?」と尋ねると「まあ見ておればわかりますよ。」と言うと長老はおもむろに衣服を抜いた。「な、何を―」と問う声は途中で止まった。周りを見渡すと、村人は皆、長老のように衣服を脱いでいたからだ。声をなくした私に裸の長老は「まあ見ておりなされ。」と言うと「それでは始め。」と村人に掛け声をかけた。すると、村人は一斉に己の胸や股間を弄りだし、喘ぎ声を上げ始めた。老若男女、輪になり裸になった2、30人が一斉に。前を見ると淫靡な手つきで自慰に耽る村人が。横や後ろからは淫靡な声が。どこを見ても、どこにいても、淫靡な光景、淫靡なざわめきが四方八方に見えるし、聞こえる。そんな異空間の取り残された私は、ただただ呆然とするのみであった。

呆然としているといつの間にか終わったらしく、皆が服を着る音で我を取り戻した。そして長老に、また家に連れられてきた私は尋ねた。「先ほどのは一体何なのですか?」長老は答えた。「あれが我が村の仕来り。いや、伝統。いや、理念。いや、理由なのかのう。」「なぜ、あのような行いを?」「完成するためですな。」また完成だ。「完成とは何ですか?」「性欲のために体を求め子を作る。これは動物と同じではないのかの。」「はあ。」「だからわし達は人間としての完成と求めて、自分らだけで足りることを求めて集った。それがこの村の始めなんじゃ。」「それでは何故あのような行為を?」「性欲は放っておいても沸いてくる。だから発散させてしまうのがよかろう。自分で発散すれば自分で足りるということでもあるしの。」「それでは性交は―」「しない。」「それならばあの子らは?」「あれは一人で足りることができなかった者達が残したもの。もっとも、先祖よりそうして残された者がわし達なんだがの。」「すると完成というのは。」「情欲に負けて子を成す者がいなくなることだな。」「最後というのは。」「あの子らが情欲に負けず人間であり続ければ最後の村人となり、そして完成するということじゃ。何代も続いてきたこの村の理念が。続けてきた先祖が。そして最も人間らしくあった一つの村が。」

その後いつものように諸国のことを語る気乗りがしなかったので、早々と立ち去ることにした。そして次の村へ向かいながら、長老の言っていたこと、子供たちの言っていたことについて考えていた。村は特別な強制はしていないようで、子を作りたいようになったら村から出ることができるらしい。しかし、出る者は少なく、出ても子供は置いていくものが多い。そのせいもあって、子を成したものは(村に居続けることも勿論可能で村八分などはないようだ)、一段立場が低い。いや、正確に言うならば、子を為さないものが一段高いのだろう。情欲に負けず人間らしいものに尊敬は与えられるらしい。だから、子供たちは自分が最後になると自慢気に語っていたのだろう。

だが、それは人間らしいのだろうか。いや、動物でないことを人間らしいと言うならば確かにそうなのだろう。しかし、私は人間動物だと思っている。だから、彼らのような考えはどうしても受け入れることができない。自然ではないし、作為的で嫌な感じがする。でも、彼らからしたらそれが人間らしい、素晴らしいとされることなのだろう。

やはり私は受け入れることができないが。私以外の人はどうか分からない。だから、私は語るだけ。村々へと歩き渡り、村々のことを語るだけ。そこから先は聞いた人に任せよう。私は受け入れることはできなかったが、最も人間らしくあろうとする彼らに経緯敬意を払い、彼らのことを語ることにしよう。いつまでも、どこまでも。

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