http://alphabloggers.com/modules/news/article.php?storyid=5
アルファブロガーと呼ばれる人のブログを見てもなんかテキストばかりで04年のブログのスタイルって感じで古くて、ピンとくるとか羨望しちゃうとかはないですよね、悪いけど。
あぁいうもて囃されてるブログが07年01月に「アルファブロガー」として評価(?)されてるのは自分にはよくわからないけど。それに比べれば自分が去年から始めたこととか今年から始めたこととかは06年や07年に沿っているから安心する。「まだこんなことしてるブログなんだ…」と思いつつアルファな人のブログを見て自分が安心するってのも趣味が悪いですが。
最近ちょっと時間があるので本をよく読むようになった。
今まで自分に全く縁のなかったジャンルを読んでみるのは面白い。
敬遠していた物理学や数学の本(高度な専門書はさすがに無理だが)も読んでみると結構面白い。
こうして乱読をしているわけだけど、そうしてるとやはり気に入らない本も出てくる。
小説なら登場人物が合わない。ウジウジした主人公が出てくると本を投げ飛ばしたくなる。
新書系統なら思想が自分と真逆で吐き気すらする。祖父の影響などもあり、左寄りの本は受け付けなくなってしまっている。
こういった本に当たると諦めて次の本に行くわけだけど、ある時ふと気づいた。
やや左寄りの本だったが、なぜか最後まで読み終えたときのことだ。
これは逆なのではないか、と。
受け付けないからこそ読むべきではないか。そう思いついた。
確かに娯楽を求めて読むならば、自分の好きな本だけを読めば良いし、それでも十分に得るものはある。
でも、あえて気に入らない本を読んだときの本が経験値が高いような気がした。
まぁ、これは当たり前のことなのかもしれない。
自分に合う、好きな本というのは今まで読み続けてきたわけだ。既知のものも随分と多くなってしまっている。
たまには我慢しつつ嫌いな本を読むのも一興かもしれない。
()の中は彼氏の内心の台詞なのか。ちょっとわかりにくかった。
おもわず検索してWikipediaの「ふんどし」の項で30分時間をくわれてしまっただ…普通にTバックでございますな。六尺褌。
私を食べて下さい。それが彼女の最初で最後のわがままだった。
彼女が死んで3日後。準備は全て済んで後は待つだけとなった。1日目にはホームセンターにノコギリと寸胴鍋を買いに行った。2日目には彼女を風呂場で切断した。愛する彼女を切断するのは気が引けたけど、そのままでは食べることができないので切断した。そして3日目。バラバラに切断した彼女を寸胴鍋に入れて煮えるのを待っている。火で炙ろうかとも思ったのだけど、彼女は火葬が嫌だと言っていたのでやめた。ぐつぐつぐつぐつ。彼女が入った寸胴鍋をぼーっと見ている。ノコギリで切断したときも思ったことだけど、愛する彼女が肉片になっていくのはやはり悲しかった。それもノコギリで自分が彼女をバラバラに、肉片に、彼女を分解していく感触は堪らなかった。しかし、ぐつぐつと煮える鍋をぼーっと見ていた。涙も胃の内容物も、彼女が死んでから何も食べていなかったので胃液しかなかったが、とうに全て出し切ってしまっていたのだから。ぼーっと煮えていく鍋を、食材に変わっていく彼女を見ながら僕は彼女のことを考えていた。
僕は彼女を心から愛していたし、彼女もそうであったと思う。彼女はわがまま一つ言わないとても大人しい女性だった。そんな彼女が初めて言ったわがままが、私を食べて下さいということだった。初めは耳を疑った。その言葉を理解できなかった。これは聞き間違いだと自分を落ち着かせるために3度深呼吸をして彼女にもう一度尋ねたが、やはり答えは同じだった。彼女は火葬が嫌だと言う。火葬されるくらいなら土葬がいい。土に還り、私が皆の糧になれるからと。そしてどこの誰とも知れぬものの糧になるよりも最愛の人の糧となりたい。死んであなたの側にいれなくなるのなら、あなたに食べられてあなたと一緒になりたいと。言いたいことはわからないでもない。しかし、やはり感覚的には到底受け入れられるものではなかった。僕は君を忘れない。君は僕の心の中にいつまでもいる。それでは駄目なのかい?と彼女に問うた。しかし、彼女は当然のように否定した。彼女は心の中に生き続けるという考えは好きではないと言う。そして、もし僕が他の女性を好きになり結婚し、子供が産まれたとき、そこに私はいない。でも、あなたと一つになれたなら、その子は紛れもなく私とあなたの子になるではないですかと。彼女は体が弱かったので子供を産めなかった。だからそのようなことを思うのかとも思ったが、やはり受け入れられなかったので議論はいつも平行線だった。
しかし、彼女に死が近づいてもなお、いや、近づくにつれますます、彼女は私を食べて下さい、私を食べて下さいと切に願うようになった。衰弱し、言葉を喋ることが難しくなっても彼女はひたすらに私を食べて下さいと枯れきった声で言うのだ。そして僕は必死になってせがむ彼女を見ていられなくなり、彼女の最初で最後のわがままを受け入れてあげようと、彼女を楽にしてあげようと、彼女に言った。「うん、わかったよ。」と。彼女は最初に驚き、そして涙を流し「わがままを言ってごめんね。でも、ありがとう。あなたを本当に愛していました。」そう微笑みながら言うと、安心したように眠り、もう目覚めることはなかった。
鍋が煮えた。彼女を皿に盛りつける。その臭いと、彼女が皿の上に出されているという目の前に現実に、もう涙という涙、吐瀉物という吐瀉物を出し尽くしたはずなのに、涙が出て、吐いてしまった。洗面台にタオルを取りに行った。洗面台の鏡を見ると涙は涙と言えるほどの水分は出ておらず擦りすぎた目のせいか仄かに赤くてらつくだけで、服に吐いたそれは吐きすぎて痛めた喉の血が混じった唾のようだった。口に入れる前だから良かったものの、口に入れてからはもう許されない。彼女を微塵たりとも吐き出すことなんて許されない。だから今度こそ涙も吐瀉物も出し尽くさなければ。そして出尽くした体から更に赤いものを出して3日目が終わった。
彼女が死んで以来ほとんど寝てなかったせいか起きると5日目になっていた。飲まず食わずどころか、吐き続けていたので飢えも渇きも限界だった。居間に戻ると彼女が入った皿がまだあったので、少し途惑いながらも口に入れた。抵抗がなかったと言えば嘘になるが、先ほどまで寝ていた中のほとんどでその夢ばかり見ていたからもう何十度と彼女を食べていたし、それに何より飢えと渇きには勝てなかった。最初はおずおずと汁を啜り、肉を啄んでいたのだけど、次第に貪り食うようになった。何もかも限界だったようで、一度堰を切ったら止まらなかった。涙が出ているかと思い目に手をあててみたが何も出ていなかった。当然吐き気もあったが、それ以上の食い気に押されてひたすら食べた。味はわからなかった。どんな料理よりも美味であったようにも思えたし、どんな料理よりも不味かったようにも思えた。ただ、一つわかったことは彼女のおかげで僕は生きることができるんだという、食べることによって命を繋ぐことができるんだという、ただただ、原始的な感情だった。
それから2日間、僕は彼女を食べ続け、そして食べ終えた。そこにはもう彼女はもちろんのこと、僕もいなかった。
その後、警察に行き、自首をした。自分がしたことは死体損壊だろうから。何度も事情を話したが誰も理解できないようなので、今これを書いている。皆が理解できるとも、理解してほしいとも思わないが、僕と彼女に捧げるためにも書くことにした。もう僕も彼女もここにはいない。ここには僕と彼女だったものだけがいる。
http://anond.hatelabo.jp/20070123101446
この続きです。
まず、はてブやトラバでコメントくれた皆さん、どうもありがとう。
こんなことはどんなに親しい人でも、口が裂けても言えないと思っていたのでコメントのひとつひとつが嬉しかった。
周囲の人は色々ゴタゴタはあっても普通に恋をして、付き合うなり失恋するなり結婚したりする。
私はその普通のこと自体が出来ないと思っているので、恋愛に関することは何でも耳にすると苦しかった。映画や小説、マンガなどの恋愛モノはだめ。すぐ拒否反応が出る。女友達同士の恋愛話も適当に流していた。ノロケ話なんて聞きたくない。正直逃げ出したかったが、恋愛に興味が無いと異常と思われそうで関心のある振りをしていた。
これまで全く男を好きにならなかったわけではないんです。ああ、この人カッコイイな、素敵だなとは思うことはあります。ただ、その後行動に移すことが出来ない。
付き合うことのメリットがわからない。
友達に「○○と△△付き合っているんだってよ」と噂されることが怖くて耐えられない。たとえいい話題だったとしても、私のいない所で私について話されることを、気持ちのいいものだと思えない。陰口のようで。
相手が私の過去を知ったら何と思うだろう。
第一そんなに可愛くない。
そのうち恋愛なんて出来ないと諦めてしまう。そんなことを繰り返し、もう20代後半。
本気で人を好きになることがどういうことなのか、未だにわからない。思春期にやるべきことをやらなかったのだから仕方がない。
今別件で精神科に通っているのですが、そこでこの話を医師に話してみた。親身に聞いてくれた。カウンセリングを受けることで、恋愛ができる様になるかはわからない。ただ、今まで封印してきた過去にようやく向き合うことができたと、私は思っています。
http://anond.hatelabo.jp/20070208204404
逆に少しぐらいヲタの方が楽でいい。
テレビに出てるような美人さんなんていらないから俺のことを適度に放置して適度にかまってくる、そして放置してたら勝手に横で遊んでる、そんな彼女がいい。見た目よりも内面的なかわいらしさ重視。そもそも俺自身インドア派だし。
誰かの首に一定時間ぶら下がってる視点の写真群。
blogging in motion 10/3/06
http://www.flickr.com/search/?q=blogging+in+motion+Tuesday+10%2F3%2F06&z=t&s=rec
バッグを買いたかったのだろうか?
同じように感じてる男も一定数いるんだから、そういう相手を選べばいいんじゃない?
自分の事を異常だなんて思ってると踏み出せないと思うからそれは捨てようよ。
別に異常でもなんでもないんだし。
おまえ一回糖尿病になってみろ、な、悪いことは言わないから、な。
一日に鶏のささみ60g×2回くらいしか食えなくなるんだぞ。
完全栄養食品とやらのフライドチキンなんぞ貪り食っていたら、一気にピザになり
結果、インスリンが効かなくなって腎臓が悪くなって肝臓が悪くなって生きたまま
腐ってゆくのだぞ。
帰ってきてシャワーを浴びた後、ふと、そう思った。
今年の冬は全身保湿に勤しんでいるから、毎年膝から下に現れていた白っぽい粉ふきがない。手のひらで撫でてみる。触り心地はそんなに悪くない。ちょっと嬉しくなって、その後で、やっぱり恋がしたいと思った。
暫くこんな風に思った事がなかったから、どうしたらいいものやら、分からない。
それに多分、望み通りに誰かに恋をする事ができたとする。そこまでは問題ない。
私は腐女子だ。
首尾良く恋をする事ができたとして、また、幸いにも恋しい相手と望む関係に陥る事が出来たとして、それでも私は腐女子であり続けるだろう。私は、この異常な嗜好を知られる事が恐い。
前の彼氏は、オタク嗜好そのものを毛嫌いしているような人だったから、それに耐えきれなくて別れてしまった。その事がトラウマになってるとまでは言わないけど、引っ掛かりになっているのは確かだ。だから、私を受け入れてくれる人なんて居るんだろうかと考えると、少しだけ絶望的な気持ちになる。
それでも、恋がしたい。誰かの為に泣いたり笑ったりしたい。
結局、何もできないまま、この衝動は薄れてしまうんだろうけどね。
自分は人間じゃなくて、単に性能が悪い機械なんじゃないかと思う事がある。
自分の生きてきた時間(30年ちょいだが)を振り返っても
今取り組んでる仕事を考えても
機械と自分と、どう違うのか正直わからないんだ。
なんかいろいろ感想見てると、感覚的にほぼ半数が「これも書籍化されるのでしょうか」とか「仕込み?」と書いてて面白い。
これまでいろいろな掲示板やブログやコミュニティがあったけど、匿名で書いたら書きっ放しってのは自分にとっては新しいスタイルなので新鮮です。やっぱここ選んでよかったなと。「足あと」が廃止されたのもよかった。
そもそもなんでコメント欄がないの?
今自分が書いてるこのエントリーだって、本来コメントで済むものだし。
エントリーになりきれてないorエントリーと呼ぶべきでないエントリーが多すぎ。
約250件/日のうち、本当にエントリーと呼べるものはどれだけあるんだろうね。
また、コメント欄をつけることによって、トラックバックで昔の記事をあげるということができなくなりそうだが、
それはそれで読ませたい人がトラックバックすればいいし、
もしくは一つの記事に3つか5つくらいしかコメントできないようにして、それ以上続けたかったらトラバになるようにすればいいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070208194108
本当にそう思う。
世の中は不公平で矛盾していると思うけど、それを甘んじて受け入れるかは
自分で判断すればいいと思う。自分の納得感の問題だよなぁ。