大阪「そもそも水俣病患者として認める条件がおかしいよね?」
熊本「国が示した条件から外れている連中に金を払う必要はないよね?」
思想の違いが如実に出ている。
どこに争点があるのかが非常に分かりやすい。
つまる所「国が決めたルールがそもそも間違っている」とするか「国が決めたルールに間違はないのだから、それに文句をつける奴が間違っている」とするか、全てはここに集約されるってことだ。
ここに県民性が現れる。
大阪という地域ではルールの穴を指摘することでそれをひっくり返す文化が根づいているといえる。
熊本という地域では百姓共のくだらん不満は上から押し付けてすりつぶせばいいという価値観が根付いているわけだ。
どっちがいいと決められるものではないが、こうもハッキリと違いが出るのは面白いものだ。
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