という言葉をよく耳にするが結局のところ根底にそれらを消費する人々への羨望みたいのが隠れているように思う。というのも消費している本人たちはただ面白い、とか好きに向かっているだけで、そうすることのできなくなった人々が消費されるコンテンツを追えるだけの体力というか気力というかそういうものを失ってしまっているんじゃないかという。コンテンツそのものに関わるのではなくて、コンテンツを論じることによってあたかもコンテンツの担い手である、あったように自己を一般化させてるように思える。
Permalink | 記事への反応(2) | 22:35
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違うと思うよ
バカをバカにするのは気持ちいいんだよw