1.
お前はある日思い立って、現代美術作家の個展に行くことにする。お前は芸術を介するような高尚な人間ではないので、そんなものには通常行かない。珍しい機会だ。
個展の会場はがらんと開けた真っ白な部屋で、壁に書いてある大きな矢印がイヤでも目を引く。真っ黒な矢印は真っ直ぐに壁の下部、床との境目を指していて、その辺りにはこれ見よがしに大きな虫眼鏡が置いてある。なるほどね、とお前は思う。矢印の先にあるなにかを、虫眼鏡を使ってみてください、ということだろう。
お前は膝を折り、持ち重りのする虫眼鏡を手にして壁を見る。
そこにはメチャクチャ小さい蟹がいる。
メチャクチャ小さい蟹が、お前を見て、ハサミを振り上げる。
2.
その日は珍しく雪が降った。お前はかなり南の地域に住んでいるので、雪が降ることは本当に珍しい。
さらに珍しいことに、その雪は積もった。いくら雪が降っても、翌朝にはただ地面が濡れているだけ、ということに慣れていたお前は、一面の銀世界(というにはやや色彩の多い景色)を見て、驚きを隠すことができない。
お前は童心に帰り、せっかくだから雪だるまでも作ろうか、と思う。衣装箱の奥に眠った手袋を引っ張り出して身につけ、外に出る。降り積もった新雪に手を突っ込んで、雪を握り込む。
手を開くと、そこにはメチャクチャ小さい蟹がいる。2匹いる。
メチャクチャ小さい蟹は、お前を見てハサミを振り上げる。
3.
お前は普段夢を見ないが、その日に限って夢を見る。
夢の中で、お前はメキシコの田舎町にいる。お前はメキシコになど行ったことがないが、なぜだかそこがメキシコだということを強く認識している。
性別のわからない皺くちゃの老人が近づいてきて、アガベの収穫を手伝えという。お前がアガベの収穫を手伝うのは当然のことだ。夢の中で、お前はアガベ農家になっている。
お前はアガベの肉厚の歯に鎌を入れる。液体が染み出す。その中に、何か固体が混じっている。お前は目を凝らす。
それはメチャクチャ小さい蟹だ。液体に混じって流れながら、メチャクチャ小さい蟹が、お前に向かってハサミを振り上げる。
ハサミを振り上げられる小さい蟹になりたい