物事を見るのに、「自分に仲裁を持ちかけられたときにどう見るか」を考えることが多くて、そうなると不法行為論と当事者適格で話を切り分けることになるなあ、と思ってる。さらにそれを守ることが結局全体の幸せになると考えてる。さらにさらに、フェミニスト(特に米式第3波)は当事者適格を透徹して使うのがうまいなあ、とも考えている。
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