2017-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20170305221813

こんな答えが出てくるのは、これを書いているやつが実際は幸せについて碌に考えていない証拠だな。

幸せについて考えるってことは、その理由分析したり、客観視するってことだ。

その時点で、その幸せってのは一般化されて、自分のもとから離れる。

そもそも感覚的なものを、頭で考えて理由を探そうとしてもそこに答えはない。

もし見つけても、個人的感覚分析して解体しようとすれば、陳腐化は避けられない。

すると幸せだと感じていたもの幸せじゃなくなり、むしろ不幸だとすら感じるようになることだってある。

から本当に考え抜くべきことは「何を幸せと感じるか」ではなく、「何を不幸だと感じるか」なんだが、一般人にはどちらにしろ無理な話なので「考えるな」ってのがベターな回答。

記事への反応 -
  • 幸せについて四六時中考える

    • こんな答えが出てくるのは、これを書いているやつが実際は幸せについて碌に考えていない証拠だな。 幸せについて考えるってことは、その理由を分析したり、客観視するってことだ。...

      • サイゼリアの社長が「美味しい料理を考えるのではなくまずい料理について考える」って言ってたのに似てる 美味しいは人によって違うがまずいは大体みんな同じだから

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