2013-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20130806115012

でもね、リンク先の素晴らしい、悲しい、文章を読むにつけ、

けっきょく「人間考えるのをやめた人間ではなくなる」のではなくて

「ほっとくと考えるのをやめるのが人間」なのではないのかとおもってしまう。

戦時中同調圧力ガンガンに高かったときも、人は「考えるのをやめた」。

民主主義体制下で圧倒的な自由を享受できるようになったときも、人は「考えるのをやめた」。(E.フロムね)

ぼくらはいつでも、何を理由にしても、強制されていても自由であっても、

隙さえあれば、考えるのをやめるのだ。


逆に、「考える」という行為は、「考え続ける」という態度は、どういう条件下で可能になるんだろう?

そのことを考えるとき三國連太郎のこの↓インタビューを思い出すんだよね…。

追悼・三國連太郎さん:徴兵忌避の信念を貫いた/毎日新聞(1999年8月) ほか - 薔薇、または陽だまりの猫


三國は勇猛な虚構や心地よい嘘に、簡単に身を委ねなかった。そして考え続けた。

「国とは何なのか、死ぬまでに認識したい。今はまだわからないが、いつもそれを頭に置いて芝居を作っている」と。

記事への反応 -
  • 最近の政治の話を見ていて思ったんだけど。 宗教も政治も、思想を持つ事は自由だし、指針として多少持っている方がいいと思うんだけど、 その思想を過信してしまって、客観性や論...

    • でもね、リンク先の素晴らしい、悲しい、文章を読むにつけ、 けっきょく「人間は考えるのをやめたら人間ではなくなる」のではなくて 「ほっとくと考えるのをやめるのが人間」なので...

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