2011-01-12

不審者的、変質者的な『善意』を受け入れることが出来るかどうか

タイガーマスク善意続々、贈り物全国で : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110110-OYT1T00831.htm

匿名児童養護施設などに寄付をしている人がいるらしい。記事だけを見ると単純に「良い話だなぁ」と思うのだがネット上の意見を見るとその行為自体には否定的な人が多い。何しろ自分も「良い話だ」と思う反面、言葉に出来ない鳥肌が立ってしまったことをここに告白する。何故素直に肯定できないのか。

色々考えたが、一番の理由はその行動自体が不審者的で変質者的だからだろう。

現代では、見返りを望まない善意は、奇異に捉えられてしまうのかもしれない。個人で渡すことにより、逆に妙な噂話を立てられることもある。『何が目的なんだ?』という目を向けられてしまう。何も求めてなんていないのに。ただ、誰かに優しくしたいだけなのに。

匿名で送る一番の理由はたぶんそれだろうが、匿名で送ることにより、その行為自体の不審者性、変質者性はいっそう高まってしまう。

例えばもし家庭にランドセル匿名で送られてきたら、両親は『ランドセル精子が塗られているんじゃないだろうか』とか心配してしまうだろう。実際に養護施設に送られてきたランドセルにはそういう痕跡なんてないだろうが。

からこのタイガーマスク運動というものは、無償で寄付をする代わりに、世間に対して『不審者的、変質者的な『善意』を受け入れることが出来るかどうか』を間接的に問うているのだと思う。タイガーマスク本人にその意識は無かったにしろ、結果的には世間に対してそれを問うている。そして世の中には『受け入れて欲しい』という思いに対して強い拒否感、拒絶感を感じる人がいて、そういう人が否定的になっているんじゃないだろうか。

  • http://anond.hatelabo.jp/20110112003755 なるほど面白い。 ついでだから私の考えも聞いてくれ。考える方向が逆だが似たようなこと考えてたのでこの記事あえてちょっと嬉しかった。 匿名でやっ...

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