2010-04-26

第9地区鳩山首相

昨日、絶対見るべきだ、という話だったので、遅まきながら映画第9地区」を見てきた。

思ったより悲惨な話じゃなかったし、近年見た映画の中でも大変面白かったのだが、映画前半で感じたコミュニケーション不全に対する無力感は、そもそものコミュニケーションが成立していない鳩山首相を思い出させた。(もっとも、この世界がそういう物である、というならばそうだろうが)

この映画は、小人物のなけなしの善意による義務感……、友愛が泣かせ所だった。

一瞬だが、他者と心の通じた場面があった訳だ。

主人公が他者を受け入れて、相互に理解しあえた。

おそらく、鳩山首相の中では、日本国民は他者ではなく、自分と一体化(自分の意志=日本の意志という認識)してしまっており、国民自分の(すばらしい)案を受け入れるだけの存在だと見なしているのではないか?

彼の中では、受け入れるべき他者とは東アジア人民なのであり、米国は「他者ですらない、装置システム)のようなもの」と見なしている気がする。

では、小沢氏は何かというと、彼の深層意識に近い存在であって、ほとんど無意識に受け入れており、見えていない気がする。

この映画では、「まともな他者」がいたから、友愛は成立した。

鳩山首相も、「まともな他者」が出現すれば、彼の友愛したいという欲望も報われるだろうが、果たしてどうなんだろう、永遠の一方的な片思いじゃないかなとも思える。

……というか、こえーよ。引くだろうな、現実的に引いているように見えるし(とてもまともな心理状態とは見なされないだろうから)。

単なる妄想を書いただけである。

  • おそらく、鳩山首相の中では、日本国民は他者ではなく、自分と一体化(自分の意志=日本の意志という認識)してしまっており、国民は自分の(すばらしい)案を受け入れるだけの存...

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