確かに功罪があるだろうね。
男尊女卑の時代って、女性がアイテムとして扱われるってことだと思う。
モノとして扱われ、ゆえに人権を踏みにじるとされるわけだけど、モノとして扱われることに幸せがないのかといったらそうじゃない。
モノを人以上に愛するのがどうも男性に多いのではないかというのは感覚的に分かってもらえるのではないだろうか。
つまり、男性に愛されるためにはモノである方が好都合であることがままあるということだ。
言い換えると、女性が”お姫様”のように扱われるためには、女性がモノである必要がある。
多くの女性はおそらく”本能的に”大事にされたい、優しくされたいという気持ちを持っているのではないかと推測する。
この欲求をみたすためにも、モノとして生きるということのメリットは大きかったと思う。
さて、現代の状況はどうなっているのか?
確かに、人がモノとして生きることは、不自然なことであり、ここで言う”猫をかぶる”と表現されるように楽ではないことといえる。
言い換えると、女性が男性と同じ人として生きることが出来る現代は”楽”な時代である。
一方、女性がモノとして生きていけなくなった以上、男性の愛情は違うモノに注がれると考えるべきだろう。
よって、女性に対して注がれる愛情の絶対量は、男尊女卑の時代と比較して減少しているのではないか。
最近ネット上で「昔の女性は品があってやさしくて、男を立ててくれたというのにおまえらときたら……」と言っている男性(?)をよく見かける。 ダメダメな現代女性の典型例で...
「男尊女卑だの、人権を踏みにじってるだのと、散々に言われてるかつての教育にも、いいところはあったのかもしれないなあ」 確かに功罪があるだろうね。 男尊女卑の時代って、女...
古い映画や小説の中に出てくるいかにも上品な女性を見かけたときなんかに、 って、現実と物語の区別くらい付けろよ。
実は教育や環境は間接因で、教育や環境の変化により身体が変わったことがより直接の原因。