2010-02-11

名前を隠して楽しく日記

日記を書く。私は日記を書く。最近私は日記を書いている。最近私は、日記を書くことに理由を見出しかけていて、その理由とは、精神解放、というか、ストレスの発散、というか、ランニングして汗をかくのと似てる感じの、まぁ大体そういう理由。書く内容は特に決めない。最終的にどんな内容になるかは誰にもわからない。

で、増田は一応ダイアリーというだけあって日記だ。議論したりしてる人も多いけどね。だから私は増田日記を書く。ね?いいでしょ?誰も文句言わないでしょ?っていちいち聞くすら必要ない。ワンダフル

それにしても私は日記を書く。文章を書くのはすごく楽しい解放される。歌を歌っているときと近いけどちょっと違う。歌っている時の私の心は音楽になっている。文章を書いているときの私の心は文章になっている。理想的には、ね。

はっきり言うと私は、来年度から自分が何をやるか、何も決まっていないし何も決めていない。私はそれに対して何とも思っていないけれど、まぁ何も思っていない訳では無いけれど、私も一応人間であるので、周りの人間に対して色々思う事がある。

私としては、まぁ何となくやりたいと思った事とかやるべきだと思った事をやればそれでいいんじゃないかと思ってるんだけど、それに対して私の家族はどう思うか。世話をしてくれた先生達はどう思うか。仲の良かった数少ない友達はどう思うか。気になるあの人はどう思うか。そんな事を考えるとほとんど絶望してしまう。

普通そういう時って、自分自分のやることを決めるべきであり、自分のことは自分を基準にして考えるべきなのかもしれない。

でも、本当に正直な気持ちで、本当に本当の自分の気持ちで考えてみれば、私は自分の事を自分で決める、という事に対して、ほとんど興味を持っていない。結構そういう人っているんじゃないかな。

ってここまで書いた時点で、もう私の文章はさっき読んだライ麦畑の文体に近づいていってる気がする。それぐらい私は自分というものにこだわりがないのかもしれない。

ライ麦ついでにもう一つそれっぽく言えば、どうして世の中の人々はあんなに自分をよく見せることばかりに気を使っているのだろう。これは多分、そういう風に他人を見ている私の心に何かがあるんじゃないかなって気がする。

ともあれ私は何をすればいいんだろう。先生が勧めるとおり、大学院に行くべきなんだろうか。それよりも別の方法でやりたい事、やるべき事を探すべきなんだろうか。でもそれってフリーターニートだよね。別に私としてはフリーターでも構わないんだけど、やっぱり怖いんだよね、貧困とか世間体とか。

いずれにせよ私は文章を書いていきたい。もしそれで身を立てていければ、それは素晴らしい事か忌むべき事かその中間のどれかなんだろうけど、そんな事とは関係なく、私は文章を書いていく。理由は始めに書いたのもそうだけど、私が愛する文章を書いた人に1㎜でも近づきたいってのもある。

もしくは、もう取り返しのつかないくらいアホーな事をやりたいね。ひたすらキュウリを刻み続けるとか。そういうアホーな事を、真剣に全力でやったら、何かが生まれるんじゃないかって気がする。あらびき団を見てたらますますそう思った。そんなことを、いい年こいて半ば本気で思っている。一人で思ってる。

だれか、アホーな事を全力でやる方法を教えてくれませんか?まぁ教えてくれなくてもいいんですけど。だってここは増田だから。

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