2009-07-20

Gのパールハーバー

今しがたGと闘ってきた。

今日のGはタイプブラウンで速度に精彩を欠いた。

やつは俺の敵ではなかった。

この家が建ってから20年来、Gと我が家との戦争は終結を見る。

そう、我が家リフォームするのだ。

そして今この疑問に終止符が打たれる。

”Gはどこから出現し、そしてどこへ消えていくのか”

この哲学的な問に遂に決着が着いた。

リフォームをしていていろいろ物を片付けてみた。

なんやらいらんものいるものたくさんでてきた。

三代続く我が家の"昭和"の総決算である。

亡くなった祖父母の使用していたものはこれでほとんど整理されただろう。

例えば、台所を片付けていたら、そば包丁がでてきた。

祖母はうどんが打てることを誇りにしていた。

嫁入りでこの地域に来た時、ご近所に打ち方を教えていたそうだ。

もう祖母は語りはしないが、この包丁は祖母の話の揺るがない物証になった。

もう使わないので捨ててしまうが、デジカメ写真に収めておいた。

いろいろでてくるものである。

本題にもどると、自分は昔から疑問に思っていたことがある。

Gはどこから出現し、そしてどこへ消えていくのか。

物心ついてからの深遠なる問であった。

まるでパールハーバーを思わせる予告なしのその奇襲。

長年苦しめられてきた我が家ではあるが、今日、終止符が打たれた。

それは”換気口”である。

我が家の治安維持局危険生物対策部G殲滅課(私はここの課長をしている)では

長年Gの行動についての統計資料を作成していた。

それによればGは出現のほとんどは台所からであった。

資料の隅にこのようなメモ書きがされていた。

”Gを殺虫剤で追い詰めるも、冷蔵庫下、以後消息を絶つ”

この意味深メモは長年殲滅課の中で語り継がれたテーマであった。

が、課のだれもが整合的な答えを用意することはできなかったのである。

しかし、ここにきてその答えが見つかった。

冷蔵庫を動かしてみると比較的低い位置に換気口がついていたのだ。

おそらく、排熱処理のためであろう。

なるほど、ここはまさしくGの上陸作戦の要であったに違いない。

網もなく壁から10数センチに位置したとっておきの突破口だ。

資料のメモ書きとも整合的である。

Gはここを拠点として我が家台所を制圧していたのだ。

敵ながら天晴れである。

発見から3時間後、その排気口にはガムテープ執拗に封がなされた。

これは我が家の勝利宣言であり、終戦勧告である。

20年に及ぶ熾烈なそして両陣営に被害の大きい戦争であった。

友となることはできない隣人ではあるが、我が家はここに平和を宣言する。

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