2009-02-24

あの卒論はなんのためにあったのだろうと

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。

幸いにも私自身は卒論で苦労しなかったが、今でも、あの卒論はなんのためにあったのだろうと疑問に思うことがある。「どうして卒論を書かせることが正しいと思うの? その理由を教えて」という問いに明快な論理で答えられる教授がどれほどいるだろう。

ほとんどの人はそれぞれ固有のどうしてもできないことを持っている。私の知人は、自分のことを一人称で呼ぶことができない。彼は「僕」とも「俺」とも「(自分名前)」とも言うことができない。別の知人は、「ひ」と「し」の区別がつかない。彼の出身地は東京ではない。私もテレビを見ながら食事をすることができない。他の人から見れば、どうしてそれができないのか理解に苦しむことでも、やはりどうしてもできないことというのは存在し、ただし周りの理解さえあれば日常生活に問題はない。

同じレベルで、卒業研究がどうしてもできない人というのも多く存在するのではないかと思う。教授には理解できず、本人にも言語化できない理由で、卒業研究ができない人というのがいるはずだ。そして、卒論が書けなくても社会生活は送れてしまう。

もはや、卒業研究ができるかできないかというのは、「ひ」と「し」の区別がつくかつかないかという能力を測る程度の役割しか担っていないのではないかと思う。そして卒論を書かせるというのは「ひ」と「し」の区別がつけられるように訓練するくらいの意味しかないのではないかと思う。たまたま適性のない人にとっては単なる苦行以上でのなにものでもない。もし、それ以上の社会的役割があるというのなら、「その理由を教えて」ほしい。そう、もちろん、「間違っていてもかまわない」。ただし、周りがみんなそうしているからといった「精神的な背骨」のない回答は望ましくない。

  • そうやって『俺があらかじめ想定している答えは絶対認めない』という主観的な態度をとる人間を相手にしている暇はあんまりない。

  • 「どうして卒論を書かせることが正しいと思うの? その理由を教えて」という問いに明快な論理で答えられる教授がどれほどいるだろう。 少なくとも指導する側は、指導者として...

  • 今の日本の大学がおかしいだけで、大学ってのは卒論を書くために行くところだからなぁ 卒論書きたくなければ、専門学校とかに行くのが本来のあるべき姿なんだけど 大学ってのは無目...

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