愚痴を聞いてくれる人にも差異があり、心の澱を消してくれる人が中には存在する。
単に大変だったねと声を掛けるだけでなく、
もう一歩能動的に踏み込んでくれることを私は期待する。
だがそれは人間の「徳」という点で善いものではない。
一緒に愚痴の焦点となる人を批判・攻撃することだ。
勿論本音であれば嬉しいが、本心でなくとも
批判に参加した事実は残るのでリスクを交換・共有したことになる。
同時に「こんな事言っても私を嫌わない」という安心感。
私だけが悪人ではないし、私以外が善人なわけでもないと感じ、自己嫌悪も軽減する。
逆に私は「いい人」に心を開くことができない。
いい人=他人の悪口を一切言わない人は
「あんたの為に自分がリスクを負って、徳を下げる真似などしない」、
当然自分に火の粉ぶっ掛けてくることを覚悟しなければならない。