2007-10-01

万国の非コミュよ、“団結”せよ。

平等な社会、などと最初に言ったのは誰だったか。

社会という存在は生まれながらにしてある種の差別を抱えている。

人種差別男女差別のことを言っているのではない。

つまり、「社会に参加できる者」による、「社会に参加できない者」への差別のことだ。

一万年と二千年前。

人類の中に“コミュニケーション”という能力を持つ者たちが現れた。

それは1+1を100にも200にもする力。

コミュ同士で力を合わせることができる能力だった。

彼らは“社会”という集団を結成し、勢力を拡大していった。

敵などいるはずもない。

世界は社会に覆い尽くされた。

彼らは、自らを“コミュ”と称した。

一方で、コミュニケーション能力を持たない者たちは、

いつまでも1のまま、力を持たないまま、コミュたちの社会押しつぶされた。

彼らは、社会の外に置かれ、コミュたちから差別された。

差別対象として、奴隷として、ようやくその存在を認められた。

コミュに非ずんば人に非ず」

彼らは“非コミュ”と呼ばれた。

生きていくためには働く必要がある。

そして、働くためには社会に参加せねばならない。

なんという差別だろうか。

社会に参加できなければ生きていく資格はない、と言うのだ。

考えてもみろ。

どんなに貧乏人間でも生活保護の申請はできる。

だが我々は、役所に電話のひとつも掛けられないのだぞ。

社会に参加できない人間には死ぬ自由しかない。

非コミュには絶望しかないのだ。

だが、現代文明非コミュにもひとつの光明をもたらした。

――インターネット

それがあれば、非コミュたちもコミュニケーション能力を持つことができた。

非コミュたちは、有史以来はじめて互いの存在を確認しあい、そして泣いた。

非コミュの夜明けがついにやってくるかと思われた。

ささやか希望はすぐに打ち砕かれた。

コミュに攻撃され、火をつけられて、いくつもの非コミュサイトが閉鎖していった。

非コミュは、非コミュ相手にさえ、トラックバックを送ることができなかった。

インターネット上ですら、非コミュたちはまともなコミュニケーションを取れなかった。

ましてやオフ会など。

そう、先日のオフ会は惨々たる有様だった。

オンラインではそこそこ盛り上がっていたものの、結局、集合場所には誰一人として現れなかった。

実は、かく言う私も行かなかったので、本当に誰も来なかったのかはわからない。

しかし少なくとも「第一回・政府非コミュ支援を訴えるオフ」が失敗に終わったことは確かなのだろう。

調子に乗って「第一回」とか付けるんじゃなかった。恥ずかしい。死にたい

…失礼。

今日はこの増田の場を借りて、「第二回・政府非コミュ支援を訴えるオフ」の告知をしたいと思う

諸君、今回は顔を合わせなくてもいい。

声を掛ける必要も、あの忌々しい自己紹介も必要ない。

ただそこに立っていてくれるだけでいい。

それが我々の“団結”だ。

それこそが、団結する力を持たない、我ら非コミュなりの“団結”となるのだ。

我々の力を、コミュのやつらに見せ付けてやろうではないか。

決行は次の日曜。

集合場所は国会議事堂前

万国の非コミュよ、“団結”せよ。

  • これって彼女がいるひもてhttp://anond.hatelabo.jp/20071001141507 と似たような胡散臭さがある。 長文書いて団結するために集会してる時点で十分こみゅだろ。 お前が新たな「社会」を作って、今...

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