「いつまでもこんなことしてらんないの、わかってる?」
喫茶店の奥まった席で彼女から詰問されて、ぼくはようやくぬるくなったコーヒーに口をつけた。この話題は何度目だろう。ありがちなループに心が安らぐ。しかし彼女はそうではない。ぼくにとってループをいやがるのはいつも女性だった。もしもぼくがヒキコモリだったとしたら、きっと母親が同じような顔をして、その科白を言うのは間違いない。いや、これは個人的な体験に基づいたぼくの思い込みだった。ただ単にぼくが高校生のころ、ひきこもっていたというだけ。
「いいかげん現実をみてよ。おかしいと思わないの? いつまでも学生気分で。同じことを繰り返して」
そのあたりの感覚が、ぼくにはよくわからない。ぼくはループに慣れっこだった。考えてもごらんよ。日々の営みなんてループのようなものだよ。食って、働いて、寝て、ときどき遊んで、挫折して。少なくとも表面上は、そういうことになってる。自分の尻尾を追いかけてくるくるとその場を回る犬みたいにしていたら、いつの間にか別のループに移行してる。それをぼくらは前進と呼ぶんだ。だから慣れなきゃいけない。楽しめるようになったら最高だ。すべてはループ「みたい」なものだよ。
「あなたはきっと、それで満足なのよね。独りで楽しんで。でもわたしは違うの。もう耐えられない」
そう、ぼくは楽しい。ループが楽しくて仕方がない。でも、他のひとは違う。彼らには善いループと悪いループがある。幸福がいつまでも続きますようにと星に願う。そしてわたしを不幸の螺旋に留め置かないでと嗚咽する。でも、ぼくは違う。ロールプレイングゲームのダンジョンにある無限ループの通路を歩いているような気分でいる。正解や幸福なんてとくに重要じゃないんだ。旅が終わらなければ――キミと辛い道程をループできればそれでいいんだ。そうすれば必ずキミも楽しくなるよ。辛いとかかなしいではなくてループそのものが快感になるよ。
「ねえ? ちゃんと考えてよ、将来のこと。ねえ? わたしのこと……てる?」
彼女のか細い声に少し胸が痛んだ。ごめんよ。大丈夫。ぼくだって常識的な生活というのがわからないわけじゃないんだ。そう、楽しかろうといつまでもループしてはいられない。いくらループと言えど永遠じゃないんだ。ぼくらは生身の人間で、あのダンジョンの無限ループを歩きつづけるには脆弱過ぎた。いや、画面の中の彼らにだってできないだろう。やがてアイテムとマジックポイントが尽き回復できなくなり雑魚キャラにやられてループは停止する。ああ、ごめんよ。キミをループを断ち切る雑魚キャラに見立てているわけじゃないんだ。だからループ「みたい」なものなんだ。いずれ別のループに移るのさ。
「はぐらかさないでよ。わたしたちもう終わり? 終わりなのかもね。ううん。わたしは終わらせたい。このダラダラした関係を。一刻も早く」
早口で捲したて、彼女は席から立った。目尻に涙を浮かべてぼくを一瞥したかと思うと、すぐに背を向けて歩きだす。いつものループが音を立てて崩れだす。ちょっと待ってよ。ぼくが叫ぶと、彼女は歩みを速める。ぼくは慌てて彼女を追った。へそくりの二千円札をウェイトレスの手にねじ込むようにして握らせ、ぼくは駆けだした。コーヒー二杯に奮発したことを後悔する間もなく、彼女の背中にぼくは迫る。カランコロンと扉についた鐘が鳴る。彼女の身体のほとんどすべてが外に出ていて、辛うじて店内に残っていた彼女の左手をぼくは右手で握った。
「ひゃ」
と、彼女は素っ頓狂な声をあげたけれど、こちらを振り向くこともしなければ手を振り解きもしなかった。
「え?」
彼女が驚くのと同時に、出し抜けにぼくの背後に誰かが立った。ぼくは振りかえることなく咄嗟に、空いている左手を後ろにむかって素早く伸べた。左手がきゅ、と柔らかい感触に包まれる。よく馴染んだ感触だった。
ひと呼吸おいて、ぼくは顔だけで振り向いた。そこには唖然とした表情の彼女がぼくの左手を握って立っていた。よく見ると彼女の左手はぷっつりとなくなっていて、それはたぶん、ぼくの右手が握っているのだった。しっかりと。彼女が少し左手を動かすと、ぼくの右手が向こうに見える。
おそらく間の抜けた顔をしているであろうぼくは、間の抜けたことを思うのだった。
これがぼくのあたらしいループ。移動したんだ。たぶんこれもループ「みたい」なもので、いつか終わってしまうのかもしれない。けど、どうでもいいんだ、そんなこと。これがぼくの大切なループ。だから大好きだ。ぼくはループが大好きだから。
ぼくは彼女に微笑みかけた。彼女は意味不明と感情を顔に浮かべながら、ひきつった笑みをこちらへ投げた。
「あのー寒いんで閉めてもらえますかー」
ウェイトレスに注意された。でも、ぼくには何も聞こえなかった。頬が熱くなるのがわかった。
ループした。彼女さえいればループできるんだ。
すてきなループを たそがれ時に あるけみすと