2007-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20070217085454

質素にくらしても限界がある。

日本経済的理由で自殺者がでるのは、どんなに質素にくらしてもミニマムのキャシュアウトが大きいことにかなりのウエイトがあるからなんじゃないかと思う。

商店街の世界に入って思ったんだ。これは無理だなって。

やっぱり無理。

例えば昔ながらの商売をしてきた人に才能努力をもちあわせてたとしても成功はおぼつかないと思うんだ。同じだけの才能努力をほんの少し違う場所で生かせればもっと簡単に稼げるのは事実だと少なくとも自分は知ってしまっている。

だけどまじめな人ほど今までやってきた事を辞められないよね。

むかしながらの取引先をやめるとか、納入先を辞めるとか、個人のお得意を切り捨てるとか。

もっといえば店を閉めて百貨店のブースに切り替えるなんて判断をとれるわけながい。

それを合理性判断とするか、非情な行為とするかで心の重みが違うと思う。

同じ豆腐屋でも地元スーパーとの取引を辞め成功した豆腐ジョニー

先行きが見えないと首をつった豆腐ケイティー。

生産性の低い現場は代替が可能なんだもの。

生産性をあげるかしないと個人の才能努力だけで挑んでも今の日本じゃ生き残れないよね。

記事への反応 -
  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070216-00000062-mai-soci この記事を見てちょっと考えたのだが、 「才能が無くても真面目に努力すればどうにかなる社会」と、 「努力はいらない代わりに、フツー...

    • 質素にくらしても限界がある。 日本で経済的理由で自殺者がでるのは、どんなに質素にくらしてもミニマムのキャシュアウトが大きいことにかなりのウエイトがあるからなんじゃないか...

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