2007-02-17

努力才能

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070216-00000062-mai-soci

この記事を見てちょっと考えたのだが、

才能が無くても真面目に努力すればどうにかなる社会」と、

努力はいらない代わりに、フツーに生きていくのに才能が必要とされる社会

って、どっちがいいのかな?

上の記事でいうと、昔だったら商売人としての才能が無くても真面目においしい豆腐屋をやってればどうにかなったが、

今は情報キャッチするアンテナとか商売人としてのセンスとか、恐らく生まれ持った才能がないと生きるのが難しいというか。

多分何十年も豆腐屋やってるうちに世の中のルールが書き換えられちゃった感があるんだけど。

確かに努力不足を責めるのは簡単なことだし、時代の流れだからどうしようもない、って言う人の気持ちも分かるんだが、

こういう人は今後どうやって食ってったらいいのか(上の記事の人は自殺しちゃったけど)。

実際50も過ぎて豆腐屋一筋でやってきた人が、今豆腐屋をたたんでも生きる術がないというのは想像に難くないわけで…。

やはりこれも自己責任だから死んでも仕方ないとか言い出すんだろか。

  • 質素にくらしても限界がある。 日本で経済的理由で自殺者がでるのは、どんなに質素にくらしてもミニマムのキャシュアウトが大きいことにかなりのウエイトがあるからなんじゃないか...

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