質素にくらしても限界がある。
日本で経済的理由で自殺者がでるのは、どんなに質素にくらしてもミニマムのキャシュアウトが大きいことにかなりのウエイトがあるからなんじゃないかと思う。
商店街の世界に入って思ったんだ。これは無理だなって。
やっぱり無理。
例えば昔ながらの商売をしてきた人に才能と努力をもちあわせてたとしても成功はおぼつかないと思うんだ。同じだけの才能と努力をほんの少し違う場所で生かせればもっと簡単に稼げるのは事実だと少なくとも自分は知ってしまっている。
だけどまじめな人ほど今までやってきた事を辞められないよね。
むかしながらの取引先をやめるとか、納入先を辞めるとか、個人のお得意を切り捨てるとか。
もっといえば店を閉めて百貨店のブースに切り替えるなんて判断をとれるわけながい。
それを合理性判断とするか、非情な行為とするかで心の重みが違うと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070216-00000062-mai-soci この記事を見てちょっと考えたのだが、 「才能が無くても真面目に努力すればどうにかなる社会」と、 「努力はいらない代わりに、フツー...
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