はてなキーワード: ソバージュとは
↑の記事の趣旨には賛同するものの、内容的には大事なところが欠けているような気がしたので、自分なりに脱大学生ファッションの基本を考えてみました。以下、ファッションオタクでもなんでもないので、ブランドや専門用語のあやまりなどあるかもしれませんがご了承下さい。
ファッションについて考えるときにぼくがいつも念頭においているのはこの言葉です。要は、自分がそうである以上のものにはなれない、ということです。服装は想像以上にその人そのものをあらわしているもので、客観的にみておおかれすくなかれ「お似合い」ではない服を着ているひとってほとんどいないような気がします。
イタイかそうでないかを決めるのは、第一にその場のコードとずれてないかどうかということであり、第二に、本人の自意識の乱れが透けてみえやしないか、ということであると思います。正直、10代のファッションはたいていすごくイタイ。なぜかというと、いまの自分ではない自分になりたいという自意識の乱れがまたまだうまく解消されていない時期だから。そういった迷いが内面のいちばん外側であるファッションに透けてみえるから、こまかいファッションの知識だのセンスだの云々をぬきにして、どうしたってイタくなる。田舎から東京にでてきたとき、東京生まれ東京育ちのひとたちが、大した服を着ているわけでもないのに、妙にあかぬけてみえた記憶があります。それは、彼らはダサい恰好でもダサいなりにさらりと着こなしていて、田舎から出てきたぼくのような「成り上がり」特有の自意識の下品さをもっていなかったからであったと思います。
脱大学生ファッションの根本は、こうした青さのイタさからの脱却にあると思っています。20代もなかばにさしかかれば自意識の問題もほとんど解決が済んで自分を前よりはうまく受け入れられるようになっていることでしょう。一方でまだ成し遂げるべきことはたくさんあって、内側にはより現実的なエネルギーが満ちている。そういった時期の自分にあった、余裕と力強さを感じさせる服装をしていたい。これが、脱大学生の時期の自分のファッションを考えるにあたっていちばん基礎においていたコンセプトです。
夏にはカットソーなりシャツを一枚着て、暑さもやわらぎはじめたら薄手のジャケットを一枚はおる。秋が深まれば冬物のジャケットにとりかえて、寒くなったらその上にコートを着る。冬本番になったらさらにマフラーを巻く。春のきざしがみえたら、マフラーをはずし、日差しのなかにあたたかさも感じられるようになってきたら、コートを脱ぐ。以下、逆順で着るものを薄くしていき、また夏を迎える。男性のファッションなんて、いってしまえば、インナー+ジャケット+コートの組み合わせに尽きる。慣れてしまえば失敗のしようがない。お洒落がわからないの意味がわからない。それくらい、すごくシンプルなものではないでしょうか。この一年のサイクルをぐるぐるまわして、損耗したものを買い替えていきつつ、品目の数を増やしていったり、品物の質を上げていく。
人にもよるかもしれませんが、ぼくは、シャツやズボンなどの服本体には色などのポイントを極力入れないようにしています。色は黒、紺、茶、グレー、白のどれか。それだけでは寂しい印象になってしまうというのは当然のこと。それではどこに力を入れるのかというと、生地の良さと手入れの良さ。シンプルな服ほど生地の良さのちがいがきわだつ。生地にだけは手をぬかないようにしています。日焼けした服や襟がよれてしまった服は捨てる。そうなるともったいないので、普段からネットにいれてあらうなりクリーニングに出すなり、手入れには気をつかうようにしている。シャツには当然しっかりアイロンをきかせる。手入れのいきとどいたいい生地のシンプルな服装に勝るものはないのではという気がします。
下はたいていデニムをはきます。スーツを着なければならないような場所ならほとんどこれでいけるし、スーツを着なければならない場所ならスーツを着ればいい。高級感のあるトップスと合わせれば、気品も十分でる。ただ、これは、「成り上がり」特有の内面の気性のあらさとそれを表現しうる服装のちょっとした粗野な雰囲気を失わずにいたいという個人的な理由にもとずく選択だと思われるので、ひとの参考にはならないかもしれません。
男性ファッションの「色気」担当は小物にあると考えてます。小物の種類としては、個人的に大事だとおもう順番に、靴、鞄、時計、ベルト、眼鏡、財布、アクセサリーなど。服装本体をシンプルにしたぶん、ポイントには小物をうまくつかうよう心がけています。ポイントの種類は大きくわけて、異素材、色、柄の三つ。異素材の代表は皮と金属。仕立てのいいシンプルな服装に皮と金属はよく映えます。色は季節感をだすのに使います。
男の小物でいちばん重要なのは、やっぱり靴。女性に聞いてもいちばんよくみているのが靴ではないでしょうか。そして、靴で一番重要だと思われるのは、やはり、手入れがいきとどいているかどうか。ピカピカに光っていない靴は履くだけ品位を下げます。そんなわけで、靴は同時に二、三足買うようにしています。毎日家に帰れば、最低限タオルで(革靴はストッキングで)全体の汚れをおとして詰め物をして日替わりで違う靴を履くようにする。歩くのが早いせいもあって、以前はシューズなど半年で底に穴をあけてしまうこともあったのですが、最近は二、三足同時に買って履き回しするようにしたので、随分綺麗なまま長持ちしています。
靴選びのコツは個人の趣味なのでよくわかりませんが、シューズではドラゴンベアードやプーマのルドルフダスラー、オニツカタイガーあたりを愛用しています。さすがにこの年になってコンバースははかないようになりました。ドラゴンベアードは一万円代で買えるのにちょっとした高級感や遊び心もあって、友人にオススメを聞かれたときにはこれを推しています。ぼくは今履いているので四代目です。鞄は、ひとつ推せといわれればフェリージをあげます。5万円くらいです。今愛用しているのは紺地に明るい茶色の革の縁取りがついたもので、「どんな服装とも合うシンプルさ」と「それ単品でコーディネートの顔になれるようなキャラ立ち」の双方を求めた結果、その鞄になりました。鞄を買うときにはこの二つのコンセプトをはずさないようにしています。
ファッションの全体感をととのえるためにも、今の自分にしっくりくるようなコンセプトを自分の中で決めておくと、服選びの参照軸になります。たとえば、ぼく自身は、ここ数年来、「リラックス&ラグジュアル」をコンセプトにしています。これは、力の抜けた、余裕のあるたたずまいをもちつつ、それがだらしなさや気の抜けた感じに堕すことのないよう、そこはかとない品位をつねに保つように意識する、ということです。服えらびに際しては、フォーマルな服をみて「これだとかっちりしすぎててリラックス感がないなあ」とか、妙にファッションファッションしている服をみて「これじゃがんばりすぎ」とかいう風に選択肢を切るのに使います。リラックス―ラグジュアルのように、共通点をもちつつ相反する要素もあるような二つのキーワードをならべるというのが、簡単で、しかも使えるティップスかもしれません。ちなみに、大学時代のコンセプトは「インテリ歌舞伎者」でした。どんなものかは想像におまかせします。
男のひとで香水をつける人というのは意外に多くはないようです。が、ぼくは、香水は必ずつけるようにした方がいいと思います。それは、人生のなかでの自分のステージの変化をいちばん敏感に映し出してくれるのが香水だと思うからです。香水をつける意味は多々あります。身だしなみとして、自己暗示として、お洒落に気をつかっているという印象を与えるため、朝、1日の始まりの儀式として、女性に自分の印象を香りとともに記憶してもらうため…。こうした効能からも香水の使用は推奨できます。しかし、やはり、香水をつけることの最大の意味は、自分の人生のステージを確認すること、であるように思います。これは極私的な意見にすぎないかもしれませんが。
大学時代、社会人になってから、その後と、不思議と、つけていたいという香水は変わっていくものです。ぼくは、大学時代はニコスのフォーメンという乳酸系の甘い香りの香水を、社会人になってからはディオールのファーレンハイトという、夏の夜の雰囲気の情熱的な香水を、一年ほど前からは、ディオールのオーソバージュという、一切甘味のない、野蛮な気品を感じさせる香水をつかっています。人生の転機を迎えると、自然に、以前使っていた香水が自分から乖離していることに気づきます。その度に自分にフィットする新しい香水がみつかります。その新しい香水は、香りで与えられた先のコンセプトなようなもので、自分のファッション全体を統御してくれます。
香水売り場に行くのを躊躇する男性も多いと思いますが、実際に香りをたしかめずに香水を選ぶのはよくないと思います。香水選びに前知識は必要なく、とにかく売り場にいって、いろいろかいで、しっくりくれば買う、こなければ買わない。男性が一日に一回つけるのであれば小さな瓶でも一年はもつので、気に入ったものを、あまり浮気せず、気に入らなくなるまで使いつづけるのがよいように思います。
蛇足ですが、香りといえばボールドなどの柔軟剤の効力は意外に大きいように思います。以前つきあっていた女性が、やたら「服からいい香りがする」と繰り返すので、なぜなのかと思っていたのですが、家の洗面所わきにおいてあったボールドをみて「これだ!」と言ってました。なんでも、「男性がてっとりばやくモテるためにはボールドをつかえばいいのではないか。それぐらいいい香りがする」のだそうです。さすがP&G。あちこちのセミナーでボールドの日本での成功譚を吹きまくるのもうなずけます。
服屋に行って店員に話しかけられるのがすごくいやだという人はよくいます。とても勿体ないことだと思います。専門知識をもっているひととの直接の会話ほど役に立つものはありません。むかしむかしの就職活動で学んだことですが、いろいろ聞かれていやならば、逆にこちらから踏みこんでいろいろと質問をしてみればよいのです。専門家はやっぱりいろいろなことを勉強しているし、勉強した成果は話したい。質問をすれば、喜んでためになる情報を与えてくれます。ぼくは、いつも、店員さんとは仲良くなって、最後は名刺までいただくことがしばしです。
店員さんにはいろいろなことを聞きます。このインナーに合うジャケットはどのようなものがありますか?と聞いていろいろもってきてもらって試したり、家にこんな服があるんですけど、それと合いますかね、と聞いたり、今年の流行りを聞いたり、手入れの仕方を聞いたり。本当に彼らはいろいろなことを知ってます。「ベルトは真ん中の穴でとめたときにいちばん綺麗なシルエットになるようにデザインされているのでサイズには気をつけてくださいね」だとか「この服は後ろ側に絞りがはいっているので、前からはわかりませんが、後ろ姿が映えますよ」だとか。
信用できる店員を見分けるこつは、個人的な意見を具体的に挙げられるひとがどうか、であるように思います。たとえば、ある服を買おうかどうか迷っているときには「なにかこう、この服を買いたいと思わせるような、この服への愛着がわいちゃうような、ヒトコエを下さいよ」とか聞いたりします。そこで、たとえば「マニアックなはなしなんですが、このシャツはそでの部分を立体裁断しているので、さっくり一枚はおっただけでも横からみた姿がすごく綺麗だと思うんです」など言ってもらえると、信用できるな、という気になります。あとは、店員とはいえ、そのシーズンのラインすべてを気に入っているわけでもないので、「正直、今シーズンのラインでも好きじゃないものとかってあったりするんですよね」だとか質問をして、こうこうこういう理由でたしかにこの商品とかは個人的には気に入っていないんですよね、などと正直に答えてくれる店員も信用できます。あとは、「このブランドってどういう顧客をターゲットにしてるんですか?」であるとか「この二、三年で景気がよくなったりわるくなったりしましたけど、そのたびにお客さんのファッションへの嗜好で変化したなと思うところとかあったりしますか」など、経営面からの質問もぶつけてみると楽しいし、どれだけまじめに普段から仕事のことん考えている人なのかもわかったりします。女性の店員なら、恋人と服を選びにきたつもりで「これ着て○○に行くとかありですかねー」とか楽しく会話をしながら服を選びます。
これだけ質問したり試着をたくさんしたりすると、買わないわけにはいかなくなるのではないか、と心配される方もいらっしゃると思います。しかし、これがまったく逆で、仲良くなればなるほど別段試着をたくさんしても買わずに済むのです。なぜなら、営業の人間にとって、一個のものをただ売るよりも、一人の顧客と深いリレーションをつくることの方がずっと大事だからです。これだけ会話をして名刺まで交換すると、店員としても「顧客と関係が築けた」という満足感が得られます。だから「ほかもちょっとみてから予算もあわせて考えてみます」と言ったとき、喜んで「またのお越しをお待ちしていますね」と言ってもらえるのです。
実際、ぼくは新宿の伊勢丹メンズ館で買い物をすることが多いのですが、そのときは、上から下までめぼしいものをみてから、予算を考えて買いに戻ります。そのとき、さんざつきあってもらったのに買わずに帰ってしまうお店には、「さっきは恰好いいジャケットをみせてもらったのにすみません。やっぱり今日はシャツを買いに来たという初心にかえることにします。予算的にも今厳しいので(笑)また次のシーズンによろしくお願いします」などひとこえかけます。それで気持ちよく送ってくれない店員はいません。
最初に「外見は内面のいちばん外側」ということを書きましたが、その外見を客観的にみてくれるのは他人です。服装にみょうな自意識がみえかくれすると絶対にあか抜けたかんじにはなりませんが、そういう自意識の乱れほど、他人からみて気づきやすいものはありません。新しい服を買ったときは人前に来ていって、反応をみてみます。ほんとにしっくりいった恰好をしていたら、100%の確率で、二人以上のひとから独立にこちらがら促してもいないのに、「それ恰好いい!」とか「それかわいい!」とかいってもらえるはずです。経験則上、ファッションに限らず、二人以上の人から独立に同じことを言われたら、それは、自分に関する真である命題だと考えてほぼまちがいありません。ファッションとは直接の関係はありませんが、たとえばそれが自分の性格に関することであったりするならば、それを直す努力をしてみる意味はあると思います。
女性と服を買いにいくのは、自分のファッションのなかに新しい要素をとりいれるためのいちばんいい方法だと思います。たいてい、自分の趣味とはちょっとズレたものをオススメされますが、どうしてもいやだと思うのでないかぎり、そうしたひとのオススメに素直に乗ってみて損はしないと思います。最初はちょっとアレだなと思っていた服もしばらく着ていれば「お似合い」になってくるものです。それは、その相手との関係を通じて自分の中の何かが変わった証拠かもしれません。
香水の段のはなしにしても、このパラグラフの話にしてもそうなのですが、「外見は内面のいちばん外側」という理解に立つならば、ファッションとは、絶えず少しずつ変化していく自分の有り様を素直に受け入れ、それを素直にたたずまいの中に表出していく、ということ以外のなにものでもないように思えます。そして、青い時代を終えた20代こそ、余裕をもってファッションというものに向き合うのに最適な時期なのではないかと思うのです。