はてなキーワード: 蠍火とは
天才なんて神が遣わした天上人のことなんてどうでもいい。
いい中学高校に行って現役で7大国立大学とかいい大学に行っていい会社に就職する。
話が上手い。語彙が多い。視点が鋭い。絵が描ける(上手い)。楽器が弾ける。スポーツができる。ゲームが上手い。
その他、自分が欲しくても持っていないものを、周りの人は、例えば現実世界でもインターネット界隈でも、
例えば2ちゃんねるでもここ増田でもその他もろもろ、全てとは言わない、持っていることが多い。
しかしそういう人は得てしてそれを謙遜に構える。
なぜ客観的に異能と言える能力を当然だと言い切ってしまうのか。
それまでの努力の数を知っているからだ。俺はそれで納得がつく。
努力を意識しているかは知らないが、そういう人間は確実に努力している。
京大に現役で入った友人は小学生の頃からちゃんと勉強していた。
俺はどうだ。努力もせずに、100点取ろうが30点取ろうが、
部活でとんでもなく下手だろうが、全て「どうでもいい」に似た感情で片付けていた。
皆が有意義に使ったお金を、俺は全部賽銭箱に放り込んで祈っていただけだ。
今から東大京大を行こうと思っても、それは2010年になっても行けるわけがない。十年はさらに浪人を重ねる必要があるだろう。
今から「蠍火」は弾けるようになるかもしれないが、「幻想即興曲」を弾こうなど無謀の極みだ。
俺がいくら今から頑張ろうと、皆から7000日も開いた努力の差を埋めることなんてできない。
俺は一生誰にも追いつけない。でもそのことを卑屈にも口に出して羨望なんかしてはいけない。
その人にも、その人のしてきた努力にも失礼だからだ。
俺は努力(と才能)の埋めがたい差を妬きながら無様に噛り付くように生きるしかない。
そのはずなのに、それを俺は、ちょうど一年前は、365日で穴埋めしてやろうと意気込んでいやがった。
卑怯にも努力に報いずに横から掠め取ろうとしてやがった。
死にたい。
今まで努力による苦痛を感じなかった分うんと苦しんで死ぬしかない。
できない。
自ら命を絶つ勇気が無い。
自殺できる人たちは、生きることに一生懸命向き合ってきたからこそ
それと表裏一体の死ぬということに臆さない勇気を持っていた。
俺にはその勇気がない。
じゃあどうすればいい。
まず眠りたい。
こんな朝にも近いクソ真夜中にちゃんと眠れないからこんなことを考えてしまう。
眠りたい。
眠った後はそんな嫌な気分もどこかに吹き飛んでしまうだろう。
いつかは眠るように死にたい。
そう思いながら俺は生きて今日も恥を晒す。