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2009-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20090121174001

宗教思想はちょっと違う。

思想には○○主義みたいなのも入る。だから、宗教よりも大きな概念思想なのだと思う。

例えば、仏教的な考えを仏教思想と言ったりする。科学的な考えは科学思想といったりするだろう。

科学といえば実在論や決定論があるだろう。これらも一つの思想である。

また、社会主義民主主義のような思想もある。俺々思想もあるだろう。

しかし、思想の一つとして、宗教科学を並べたとき、この二者には大きな違いが存在する。

それは、科学の一部は常識として認識され、教育され、法規範に組み込まれている。

一方、宗教政教分離の原則から、法や政治に組み込まれる事を嫌う。

このようにある思想に基づく行いを強制することはそもそも問題ないか?という問いは、そもそも法治主義という思想(に基づく行いを省略。以下同じ)を強制する事が出来るか?という根本の問いに発展してしまう。

しかし、今の日本法治主義の下に民主主義を強制しているように、科学という思想を強制することもまた問題ないであろう。

それだけ、科学は信頼に足りるとされている。

それが、科学宗教の大きな違いだ。

2009-01-19

[][]真実

私たちが真実と考えている事が、理論によって規定されているとすれば、どのようにして真実哲学の基礎に据えることができるのでしょうか。探求され理解されるのを待っている宇宙存在すると考えているという意味で、私は実在論者であるといえるかもしれません。すべてが想像の産物であるとする唯我論者の立場は時間無駄であると考えています。そのような原理に基づいて行動する人はいません。しかし、理論がなければ、宇宙について何が真実であるのか理解できないのです。

そこで今まで単純すぎるとか幼稚であると書かれてきましたが、私は、物理理論とは観測結果を記述するための数学的なモデルに過ぎないという立場をとります。ある理論がよい理論であるのは、すっきりしたモデルであり、広い範囲の観測を記述し、新しい観測結果を予言できる場合です。

それを越えて、その理論真実に対応しているのかと尋ねることは意味がありません。なぜなら、私たちは真実とは何かを知らないからです。

科学理論をこのようにとらえると、私は概念道具主義者、あるいは実証主義者になるかもしれません。実際その両方で呼ばれてきました。私を実証主義者と呼んだ人たちは、実証主義は時代遅れであると付け加えました。これも軽蔑する事で反論するということのもうひとつの例です。過去知的流行であったという点では、私は時代遅れかもしれません。

しかし今まで簡単に述べた実証主義的な立場だけが、宇宙記述して新しい法則と手法を探している人がとりうる立場だと思います。

モデル依存しない真実概念存在しない以上、真実に訴えかけても駄目なのです。

私の意見では、科学哲学者が量子力学や、不確定性原理に対して抱いている困難の根本的な理由は、未だに明らかにされたことのない、モデル依存しない真実があると信じていることだと思います。

宇宙における生命 スティーブン・W. ホーキング

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